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二十世紀後半はスクエアグリップ全盛のまま終わりを告げた。その間ストロンググリップは諸悪の根元のように扱われたが、果たしてそれは本当だったのだろうか。スクエアグリップは自然を謳い(うたい)文句にしたが、人間にとっての自然さとは何だろうか。

ゴルフ発祥の頃からアイアンクラブが発明されるまでの期間、ゴルファーにはウッドしかなかった。今のウッドはシャフトがヘッドの端に寄っているが、昔は今ほど端になかった。ヘッドの強度が出ないのだ。

それで自然とシャフトはヘッドの幾らか真ん中寄りに差し込まれる形になった。最近わざとそうしたクラブを見かけた。そういうクラブはトルクが小さいからスライスしにくい。

日本人ゴルファーは練習場でボールを打つ機会が多い。コース上で打つより遥かに多いから勘違いしているけれど、練習場でマットに乗ったボールをウッドで打つときにはスライスするが、ラウンド中のフェアウェイウッドは意外とホックし易い。

ホックというよりゴロの引っかけになることが多い。アイアンが真っ直ぐ飛ぶ日はフェアウェイウッドがゴロになる。アイアンが軽くスライスするとき、フェアウェイウッドは真っ直ぐ飛ぶ。偶然ではない。

ウッドしかない昔のゴルファーはそのゴロと戦わねばならなかった。ボールを上げることが最大の関心事だった。クラブもそのために改良され続けてシャフトは可能な限りヘッドの端に取り付けられ、トウの部分は重くされた。ネックの長さもトルク調整のために利用された。シャフトとネックでは硬さが違うからだ。

そうしてとうとう今日のクラブが出来あがった。こうすることによりクラブのトルクは増大し、フェイスは開く。フェイスが開いてスライスはするがロフトは増大するからボールは空高く舞う。グリップもボールを上げるためにはスクエアだ。

その結果として今日のゴルファーはスライスと戦っている。上手にとってはどちらでも同じことだが、初心者には大問題だ。常識というのは良識が腐ってからの五十年間を指す言葉だが、なるほどそういうことなのかも知れない。インターロックグリップは女性など非力なゴルファーに向いていると言われて久しいけれど、それは怪しい話だ。

男子プロでインターロックグリップを使っているのはニクラウスしか私は知らない。タイガーもインターロックに見える。ついでに言えば、私と同じわしづかみはスティーヴ・ジョーンズだけだ。

タイガーとニクラウスが非力だとは思えないし、あの飛距離が特にインターロックグリップのせいとは考えにくい。もちろんインターロックには飛距離に関して秘密もあるのだが、そんなことを知っているゴルファーがいるはずもなく、だからそれと知って使ったわけではない。

幼い頃にゴルフを始めた二人のコーチは当然父親であったろうし、子供にゴルフをさせるくらいだから二人ともゴルフの常識を知っていた、ということだろう。

インターロックはすばらしいグリップである。オーヴァーラップしか知らないゴルファーはゴルフそのものを知らないといっても過言ではない。しかしだからといってインターロックが特段非力なゴルファーに向いているとは考えられない。

誰が言い出したか、それはゴルフ史上2番目の、最悪のデマだ。しかしその良識もすでに常識になってから五十年以上たっている。もはや常識でさえない。こういうのを人々は「常識の嘘」と呼ぶだろう。女子のグリップは果たしてインターロックのスクエアが最適だろうか。

スクエアグリップは素直な握り方と言えなくもない。バックスイングでクラブは自然にロールして開いていく。それを自然と捉(とら)えれば、確かにスクエアグリップは自然だ。しかしロール無しのバックスイングから見れば、スクエアグリップの自然さはアドレスとインパクトの時だけの話になって、バックスイング中やトップではぐちゃぐちゃしていてスクエアも何もあったものではない。

スライスの原因が必ずしもスクエアグリップにある訳ではないが、スライス病に犯された日本のゴルフ界を作った最大の原因は間違いなくスクエアグリップだし、それを陰で支えているのは右へならえの民族性と、レッスンプロやクラブメーカーたちだ。

もっとも、常識で五十年食えるのなら苦労して時の良識を模索することもない、か。

スクエアグリップはここがスクエアですという場所がはっきりあるような気にさせてくれるところがいい。細かく考えると、しかしそれは幻だろう。前へ習えと両手を伸ばせば手と腕は見事にまっすぐに伸びるが、その手に鉛筆一本握らせてみるとたちまち手の甲は腕とまっすぐにならなくなる。

腕の側線と手の甲との間に角度が出来る。だから時計の竜頭(りゅうず)が甲側の腕に食い込む。それをちょいと修正すると真っ直ぐスクエアになる。修正の後先のどちらが「自然」か、と問われると困る。

確かにストロンググリップには決定的欠陥がある。インパクトまでは理屈が通るのだがその先がない。その先は手首を破壊するしかないところが理屈上の難点で、結果としてこのグリップは飛距離の点でスクエアにかなわない。

ストロングという名前なのに飛ばないのは妙に感じられるだろうが、事実だ。ゴルフのストロンググリップは飛距離でなくコントロールに絶大な威力を発揮する。

インパクトの先がないというストロンググリップの本質は、ドローやホックが出ないことだ。そんな馬鹿なと言う人がある。実際と違うと思う人がいる。しかし、それは理論と実践の差に過ぎない。

理論通りに飽くまでストロングでいられる上級者にとって、それは事実だが、途中からストロングの形を壊して無理をしない初心者にとって、ストロングは引っかけの出るグリップになるだろう。

スクエアグリップは加減しないとホックやスライスが勝手に出る。それでスクエアグリップに熟練してしまった上級者が悩む。ドローを打つにはスクエアグリップが一番簡単だが、ドローを止めるにはストロングに限る。

自由が不自由という話がここにもある。ストロングは不自由なグリップであるから、ドローしようがない。従ってかなり上手なゴルファーが、ドローを避ける必要があるほど上手なゴルファーがフェード打ちをするためには、ストロンググリップは特効薬となる。

左手の甲がまっすぐ目標を見るのがスクエアグリップのスクエアならば、真上を向けばそこがストロングだ。こんな握りではいささか窮屈だが、その窮屈さを嫌がって途中で楽になろうとすると、ストロンググリップはその途端にシャットフェイスのスクエアグリップになってしまう。

これでストレートボールやスライスを打つのには相応の練習量がいるだろう。だがその練習量はスクエアグリップでスライスやドローを克服するための練習量よりは遥かに少なくて済む。

ストロングとスクエアグリップ選択の指標は、思い切り「打てば」必ずスライスする人生を8年続けるか、それとも思い切り「打たなければ」ホックするのがいいか、ということになる。軽く打って真っ直ぐがいいか、思い切り打って真っ直ぐがいいかだ。この話を不思議がる方は幾らかゴルフに詳しい。

思い切り打てばホックするのは上手なゴルファーに限る。なぜだかご存知か?つまり上手なゴルファーは普段それほど強く打たない時と、気合いを入れた時とでは、無意識にバックスイングの深さが変わる。気合いを入れると深くなる。

ところが初心者は力を入れようとすると逆にバックスイングが小さくなる、打ち急ぐからだ。それでスライスする。

初心者がボールを打ってスライスすればストロンググリップに変えるのが自然だ。初心者のスライスは手が「弱い」から生まれる。初心者がホックグリップにしてもスライスは治らない。手が「弱い」間はホックグリップも効果がない。

神様が人間を作った折に、まさか人間がゴルフをするとは予想だにしなかった。何より木に登ることを考えた。だから人間の手は鉄棒にぶら下がるには都合がいいがゴルフは苦手だ。

今時ストロンググリップを使うアマチュアゴルファーは稀だが、エルスもグーセンも、彼等のグリップは、ありゃどう見たって目一杯ストロングに見えるのは私だけだろうか。レッスンプロなどは自分がストロングでも教えるのはスクエアだったりする。

いろいろ事情はあるのだが、それにしたってはっきりストロンググリップなのを、あれは実はスクエアです、と、新興宗教のような屁理屈を言うようになるとこの世は闇だ。

ただし実際本当のところはわからない。手の平の大きさが違えば見え方も違う。クラブの代わりに箸を握ったときには誰のグリップもストロングに見えてくる。したがって本当にストロンググリップが使われていない証拠はどこにもないし、また使われている証拠もない。

証拠はないが事実はあるわけで、ストロングとスクエアは手首の使い方が全く違う。

それにしても日本でストロンググリップがこれほど忌み嫌われたのはなぜか。多数決も百対ゼロは無効だそうだから、そろそろストロンググリップの復権があってもいいのではないだろうか。

そもそもストロンググリップはわれわれ日本人になじみが深く、専売といってもいいグリップだった。体格の差と力の差を補ってくれるグリップだったからだ。いつのまにか日本人はそれを忘れてしまった。

先程述べたように、ストロンググリップは飛ばすため、という意味のストロングではない。非力でも目一杯打って曲がらない、コントロールを失わない、という意味でのストロングである。

腕っぷしが強ければ目一杯打っても腕がクラブの重さに負けない。だからストロングはいらない。しかしそれだけの力がないゴルファーは、目一杯打てば腕や手首がクラブの重さに負けてぐらつく。しかしストロングならぐらつかない。だからストロングというのだ。

ストロンググリップという用語はテニスでも使われる。テニスではコンチネンタル、イースタン、ウェスタンという順でストロングになっていくからウェスタンをストロングとも呼ぶが、日本のテニスが世界的レベルだった20世紀初頭、日本人プレーヤが世界の舞台で使って不思議がられたのがウェスタングリップで、それは今でも軟式テニスのグリップとして残っている。

それがなぜウェスタンなのかはわからない。極東が行き過ぎてみたらウェスタンだったのか、アメリカから見たものなのか。いずれにせよこのグリップはいまや世界のテニス界を席巻している。アガシだろうとヒューイットだろうとおよそ世界中のすべてのプレーヤがプロアマにかかわらずストロンググリップになってしまった。

つい30年前はそうではなかった。ストロンググリップは変則なグリップとしてごく少数のプレーヤー、たとえばパワーのない小柄なプレーヤーが、ネットプレーの不利をストロークでカバーしようと使ってみるくらいのマイナーなもので、当時はベースラインに張り付いてネットに出てこない能なしプレーヤーと思われた。

ちょうどそのころアメリカに何回目かのテニスブームが起こる。美しい芝生はどうやって作るのかとアメリカ人がイギリス人に聞いたら、まめに水をやって400年ほどで出来るでしょう、と言われたという話がある。開拓者魂を持ったアメリカ人はすぐさま砂漠に見事なゴルフ場を作ってしまった。

才能を待つのではなく、パワーを才能もどきに変換するというアメリカのやり方は、才能がモノをいうネットプレーを捨て、ひたすらベースラインでパワーの限り打ちまくる道を選んだ。これでテニスはつまらなくなったというのが通の話だが、ストロンググリップは以降全盛を誇ることになった。

しかしあれから25年、ボールやラケットといった道具がベースラインプレーヤーに有利になってきたからかも知れないが、ストロンググリップはオールラウンドプレーヤーを駆逐してしまった感がある。アメリカはめくらめっぽう打ちまくってチャンピオンになる者にも尊敬を払う。

それは悪いことではない。しかしテニスボールはそれが軽くて大きいほどベースラインプレーヤに有利になり、逆に重くて小さいほどヴォレーヤーに有利になるのだが、この何十年間、ボールが軽く大きくなっていったのは、アメリカの戦略である。

お人好しはそれを知らないか、あるいはその逆境でも勝ってみせると、武士は食わねど高楊枝。そういう話はボールに限らない。オーガスタでゴルフをすれば、それも同じ事だろう。ま、いいか。

私の知る限り、このストロンググリップで初めて世界のベストテンに食い込んだのが、奇しくもアガシのコーチになったハロルド‘ソロモンというのもまたうまくできた話だ。私は彼の大ファンだった。

残念ながら彼自身はほとんど注目されなかったが、彼以降しばらくして世界はストロング一色に変わった。

スクエアが悪いグリップであるわけはない。問題なのはストロングがスクエアに完全に駆逐されてしまったことだ。日本でスクエアが全盛になるのは杉本英世プロの頃からだと思うが、当のビッグ杉はオーストラリア遠征の後グリップをスクエアから軽いストロングに変えたことがあるから、スクエア信仰はもっと前からあったことになる。

現場と設計とでは意見が異なる。設計はきれいで理論的に完全なものを考えるが、現場はとにかく勝たなければ食えない。それでプロを見るとストロングなのにレッスンを受けるとスクエアという現象が起こったのかも知れない。こういうことは起こりうる。

現在テニス界の全ての子供達やプロはストロンググリップだが、ラテンの国を除けば世界中の何処のレッスンでも未だにこのグリップは教えない。ただ以前と変わったのはストロングで握っている生徒に、スクエアに変えなさいとは言わなくなっただけだ。

日本人のパワーを考えると、ゴルファーの7割がストロングで残りがスクエアというのがまあ正常な割合だろう。それに向かって日本のゴルフ界は動く、この先五十年かかって。そのころにはもう日本人の体格が変わって何の意味もなくなっているだろうが。それよりゴルフ場が変わっていくだろう。

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