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ゴルファーはアドレスでクラブヘッドを慎重にセットする、目標に向けて。

ゴルフスイングはややこしい回転運動だから、クラブフェイスの向きは刻々と変わる。クラブフェイスは一つの方向にたった二度しか向かない。ゴルファーがもしもアドレスでクラブフェイスを目標に向け、インパクトできっちりとそこにヘッドを戻して打ったとしたら、そのボールは目標に向かって飛ぶ、はずがない。

ボールはクラブヘッドに当たった瞬間に飛ぶわけではない。ボールはしばらくヘッドに張り付いている。時間が流れる。そしてフェイスの向きは刻々と左に向いていくはずだ。それならドローするかというと、ヘッドがボールに当たった瞬間にフェイスはボールにはじかれてかすかに動揺する。それならスライスするかというと、そうでもない。

「インパクトはアドレスの再現」という言い伝えはギマンに満ちた真っ赤な嘘だ。もしも本当にアドレスを再現してしまったら、ボールが左へ吹っ飛ぶのは目に見えている。アドレスは止まっているがスイングは止まっていないのだ。この「瞬間の世界」で、ツェノンの亡霊が生き返る。そして「インパクトはアドレスの再現」であるというお題目が唱えられる。

ゴルフのレッスンはすべからく「その嘘ホント」の世界で、嘘が何回も重なり合ってホントが出てくる。ガリレオもニュートンもアインシュタインもボーアも、「その嘘ホント」と戦わねばならなかった。アドレスの再現をしていないゴルファーだけが真っ直ぐ目標にボールを飛ばしている。まじめなゴルファーが馬鹿を見る。科学技術の進歩でインパクトを一万分の一秒という単位で見られるようになっても、それで何がわかるというものではない。

それどころか、見る目を持たなければ、一万分の一秒の世界は危険でさえある。それは実に危険だ。運動している物体は止まっているときより重くなっていてしかも縮んでいるそうだ。光1グラムが原発何台分のエネルギーに相当するか、そういうことがわからない者に一万分の一の世界は危険すぎる。

このごろはゴルフ番組で高速度撮影のヴィデオが出る。それをプロが解説している。「フェイスはきれいに真っ直ぐ入っていますね」だと。馬鹿馬鹿しい。スイングの速度があんなに遅く見えるということは、フェイスの動きは小さいからもっと見えなくなる。

山の手線一周が画面一杯に撮影されたサーヴィスサイズの写真を見ながら、新宿駅の10番線ホームにたたずむ女性のイヤリングを「きれいなピンクパールですね」と言うようなもんだ。それは見えない。だから危険なのだ。

最近のプロ野球では、バットが回った回らなかったの判断がバッターに不利になった。肉眼で見ていると絶対に回っていないと思われるスイングが、すべて回っているという判定になってきた。バッターには不都合だが、それはヴィデオのスローモーションを見ると確かに回っているという事実を根拠に、審判が予測してアジャストしているだけだ。

映像に嘘は無いという考えだろうが、しかしバットは映るがその時ボールは映っていない。超高速度撮影が生み出す誤解は、自然とは何かを改めて考えさせる。もしも一旦確かに出たバットが、ボールの速度より早く戻せるなら、決してボールには当たらない。つまりスイングにはならないのではないか。

ボールを打つことが不可能だからだ。野球をよく知らないので何とも言えないのだが、たとえボールがバットのすぐそこまで来ていたとしても、ボールより早くバットを引いている場合、それでもスイングなのか。ボールが来たときにはバットが引かれていて当たるはずがないのに空振りをとられるなら、バントの構えをしたらもう打つしかなくなってしまう。バットを戻してボールをやり過ごすことは出来ない理屈だ。

ゴルフスイングを一万分の一の速度で見ると、ヘッドの回転も一万分の一になっているが、それは見えない。ただヘッドが前進するのだけが見えるだろう。それは限りなく嘘に近いトリックである。見る目がなければ、どんなに価値ある映像もただの誤解で終わってしまう。

ゴルファーがアドレスでクラブフェイスを目標に向けることに何かしら正当な理由があるとすれば、そこが一番わかりやすい位置だということだけだ。3度開くとか1度閉じるというのはややこしい。ゴルファーはボールが真っ直ぐ飛んだときに、これはクラブフェイスがアドレスにピタリと戻ったのだと信じているだけで、実際フェイスにどう当たっているか本当のところは誰も知らない。そこに真実は見えない。

しかしたとえばベン・ホーガンの作ったアイアンには、そこにゴルフのひとつの真実があるだろう。ベン・ホーガンは本当に偉大だった。ただそのアイアンがもしも彼の作品でなく、名もないクラブ屋の作だったら、売れなかった。ゴルファーはベン・ホーガンを信じただけで、彼の見いだしたゴルフの真実を理解したわけではないのだ。

結果オーライを真理と思いこむために、誠実なゴルファーは無理をしている。自分に嘘をつき続ける。プトレマイオスの周天円のように念の入った嘘で、天動説ならぬ真説ゴルフ理論を作り上げる。真摯なゴルファーが悩み、エエ加減なゴルファーがエエ加減でゴルフを楽しむ。

杉原輝男やビリー・メイフェアーはなぜパターを開いて構えるのか。聞いたことがないからわからないが、何かそこには、真理だけが放つある独特の香りが漂っている。リニアに打てればフェイスは何時でも真っ直ぐだから問題ないように思うけれど、リニアに振るのは不可能で、ゴルフスイングは決してリニアではないのだからパターだけリニアにすること自体がおかしい。

アドレスはアドレスであって、リリースではない。時間のない世界と時間のある世界を同じに扱うことは不可能であり、それを同じに扱うこと自体非常に危険な誤りである。インパクトとリリースは時間差を伴った二つの出来事だから、その位置についてひとまとめにアドレスの位置と言うわけにはいかない。

アドレスの位置がインパクトの位置を指すならば、真っ直ぐにボールが飛んだ場合のインパクトはアドレスの再現ではないし、かといってアドレスの位置がリリースの位置を指すならば、ゴルファーは透明なボールの中にクラブヘッドを差し込んだようなアドレスをしなければならない。これは事実に他ならないが、現実的でない。従ってアドレス教は迷信に過ぎない。

アドレスが儀式の如く慎重に見えるのは、単に手間が掛かる作業だからであって、別段神聖なものでも何でもない。ヘッドの方向をどんなに正確に目標に向けようとしたところで、高々幅7センチほどの板を、150メートル先の目標に正確に直角に向けることは不可能なのだ。

ヘッドが1度右を向けば、150メートル先では旗の右3メートル近くを狙っていることになるが、その時ヘッドのズレはわずか600ミクロン、0、6ミリである。それは人間が識別出来ない世界では決してないが、クラブヘッドは目から1、5メートルほど離れたところにある。畳に顔を近づけてダニの足の本数を数えるくらい大変な作業を、立ったまま遠目でするのだから、相当難しいだろう。

インパクトはアドレスの再現ですなどと、簡単に言ってもらっては困るのだ。

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