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たとえゴルフに唯一無二の理想スイングがあったにせよ、それを習う千人のゴルファーがいればレッスンは千種類生まれる。スイングの本質はあまりに抽象的だから、それを各々のゴルファーに知らせるためには人数分の話し方を要するわけだ。

理想スイング自体が一つでないから、レッスンの言葉は無限の広がりを持ってくる。それらの言葉は薬と同様で、ある人には薬であるが、また別の人には毒となる。そんなレッスンの世界では、隣の人に向かっているレッスンを又聞きしても役には立たない。毒かも知れないのだ。本を読んでもそれが自分のスイングについて薬なのか毒なのかわからないから役には立たない。それがわかる人は本を読まない。

たとえば「頭を動かすな」というレッスンは効果も絶大だが場合によっては逆効果になる。コーリー・ペイヴィンだけがゴルファーではない。このレッスンの被害者の何と多いことか、と思っていたら、この危険なレッスンはようやく最近になって、派手なヘッドアップを武器とするスウェーデンのプロゴルファーの活躍でとうとう万能薬としての地位を失った。

この手のレッスンはプロの処方によって初めて効果の出るレッスンなのだ。相手構わずこれを教えていたプロは、あわてて次のような屁理屈をこねた。「確かにヘッドアップした方が理論的に距離は出る」と。そうじゃないだろ、「頭を動かすな」という心得は距離云々などモノともしない金言なのだから、ビビることなんかない。ただ注意深く生徒を観察してから処方すればいいのだ。これを相手構わず通用させていたプロが悪い。

コウモリは鳥のように空を飛ぶ。ちいさな子供はコウモリを鳥だと思っているだろう。そのうちコウモリが鳥でないことを知る。それからしばらくしてコウモリには目がないことを知って驚く。目がないのに何で飛べるのか、何で巣に帰れるのか、木や壁にぶつからないのか不思議に思う。ゴルファーも外見からはわからないが、普通と全く違う方法でボールを打ったり、目標を定めたりしていることが少なくない。

メイジャーリーグの投手は上半身が極めて強いから下半身を使わないで速いボールを投げている。牛島投手と同じだ。そういうのは見ればわかるが、ボールを打つという動作はどんなボールゲームでも、かなりのプレイヤーが正しくないというか普通でない力の出し方で済ませているのに、外からは全くわからない。

少しスイングが悪いのを直そうとして何年も治らない場合、そこには大抵「えっ」と思うような本質的欠陥が隠れている。かけ算の筆算はケツからやるものだが、それを頭からやっていた高校生がいた。それに誰も気付かなかった。計算は遅くなるが、場合によっては大変な才能とも言える。ゴルフでも正しい力の出し方を教えると大抵は治るが、それよりそんな力の出し方もあるんだという事に驚かされる。それで普通にやってこられたことを不思議に思う。

長年ゴルフ界を眺めていると、多くの著名なゴルファーが、言い方は違うが一様に「トップで少し休め」という趣旨の話をしているのに気付いた。しかしその真意は明らかでない。理屈は幾らも付く。その気になればこの話一つで10人のレッスンプロが10冊の本を書いて、それぞれ全く違うレッスンにしてしまうこともできるのだが、どうもこの話に限って、理屈が話を追い越さない、不思議な格言なのだ。

その昔、トミー・アーマーも言った。「ロングホールで我れを見失い8、9を打つゴルファーには、トップでほんのわずか間(マ)を持つことを勧める。そのわずかなためらいのあいだに、スイングには人知を越えた驚異的な修正が行なわれる」と。 

彼と同様の発言は彼以前にもそれ以降にも言い尽くされている。この格言の理屈を詮索する必要はない。そんな暇があるのならば、まず実践するに限る。「紫電改の鷹」は「チャーシューメン」と言ったが、なかなかうまい話である。

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