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ゴルファーはピンを狙う。当たり前の話だ。ファミコンやプレステのゲームで遊ぶ子供を見ていると、彼等は実に上手に身をかわし、弾を投げ、前進しているように見えるが、プログラマーとして見れば、そこには敵もなければ爆弾もない。あるのは時間だけだ。絵は単に時間を示しているに過ぎない。

相手が動いてから2秒経って弾が発射されるようにプログラムするには、2秒間プログラムを遊ばせる。ノーオペレイションという命令を並べるだけの話だ。タイマーを持っているマシンなら、それを使う。そこには絵もなければストーリーもない、タイミングという名の時間だけの世界が広がっている。

子供も画面を忘れれば、自分が単に時間的タイミングを上手にとって、自分の指を動かしているだけだ、という事実に気付くだろう。ストーリーなどどこにもなく、勝ち負けもない無味乾燥な世界が広がっているのだ。

画面はタイミングを合わせるために不可欠な情報のように見えるけれど、慣れれば、あるゲームのスタートスイッチを押した瞬間から目をつぶって規則正しく指を動かし続ければ、そのゲームが何であろうと最後までクリア出来てしまうという事実に、幸い子供は気付かないから、ゲームに熱中できる。

ゴルファーがピンを狙うとき、画面を見ながらボールを打つのは、子供がゲームをするのと同じだ。子供の頃からゴルフ場で遊んでいれば、風の計算も、気温によるボールやスイングの変化も、グリーンの状態も、全ては感覚が覚えている。そして画面を見ながらボールを打つだろう。しかし、方法はそれだけではない。

数値として風を計算し、数値として距離を計算し、さらに数値としてグリーンの傾斜を計算し、ライの状態を計算する。その果てにあるものは、数値としてのスイングである。もはや画面はいらない。そんなものを見る必要がない。必要なのはタイミングだけだ。こういう状況では、「狙う」という言葉の意味が違ってくる。

どうすればどうなる、ということがわかっている場合、人はわざわざあそこへ打とうというイメージを膨らませる必要はない。絵は要らないのだ。どうすればあそこへ打てるかわかっているなら、あそこに打とうと思うのではなく、どうする、そのものをするだけの話になる。それは無味乾燥の世界であるが、感情が入らない分気持ちに左右されない。

パターと同じで、ここでも感覚でゴルフをするか、規則性でゴルフをするか、ゴルファーは選択に迫られる。それはチェスのマッチに人が勝つかコンピュータが勝つか、という話と同じことだ。つまり余程の才能がない限り、機械的な方がいい結果を出しそうだということが予想される。世界のトップテンに入るようなプロゴルファー達だけが、機械に互して戦っている。

ゴルファーがもっとも画面を見るのは30センチのパットと30ヤードのショットである。そしてもっともタイミングに集中するのは10メートルのパットとドライヴァーのティーショットだ。そこで、タイミングの世界だけでゴルフをするためには、30センチのパットと、30ヤードのショットをタイミングだけでやることに慣れてみることだろう。

計算だけで30センチのパットをこなし、30ヤードのショットをこなす。それを全てのショットに通用させていけば、ゴルフの裏側にある、タイミングだけの不思議な世界で、静かなる沈黙のゴルフが展開される。そこに画面はない。池もなければバンカーもなく、風もなければ鳥も鳴かない。大人は子供より進化している。

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