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今年のグリーンズボロは二人の興味深い選手が上位に来ていて、そのプレーを見られて良かった。一人はクリス・カウチという選手で、私が「逆手のゴルフ」で書いた通り、逆手でアイアンが打てることを実際に見せてくれた。その上とてもわかりやすい「スウェイ打法」のスイングまで見せてくれるので、絵や写真のない「ゴルファーに愛を!」にとって、とてもありがたい選手である。

もう一人はライアン・ムーアという選手だ。この名前を忘れないで出来るだけ早く見て欲しい。彼はアドレスした後に、クラブヘッドを真っ直ぐ正面上方へ持ち上げる。ハンドダウンの構えを空中でするのと同じことだが、その位置からバックスイングを始める。

 
谷口プロが、たぶんアドレスの前だと思うが、腕とクラブを水平にしてグリップをするところを見たことがある。彼に限らず、アドレスする前に空中でクラブをしっかり握ってみる仕草をするゴルファーは少なくないが、まさかその位置からいきなり打つゴルファーはいない。誰でもボールに対してアドレスしてからバックスイングを始める。

ライアン・ムーアはその逆に、最初にアドレスして、そこから手の位置はあまり変えずに、シャフトだけを立てていって、ヘッドがおへその前あたりまで来た状態で、つまりシャフトが水平の状態で一端停止し、そこからバックスイングを始める。

つまりアドレスに戻ることを、と言うかボールのあるところに行くことを、ボールの置いてある場所とは全く別の場所からスタートさせるのだが、そんな奇妙なスイングは他で見ることは出来ない。しかし彼の方法はゴルフスイングについて一般ゴルファーが持っている幾つかの迷いをかなり本質的に解決してくれる。

出来るだけ早く見て欲しいと書いたのは、彼がいつまでそのスタイルを続けるかわからないからだ。彼は手首の手術をした後、アドレスから普通にバックスイングを始めるだけの力がなく、手首に痛みを感じたらしい。そこでハンドダウンと同じような、腕とクラブシャフトの作る角度が90度に近い、そういう形からならばバックスイング出来ることに気付いたらしい。

私が「ヘッドを開いて構える…」というタイトルを幾つか書いたのも、同じ事情からだったと思う。彼のスイングを見て、その事情を聞いた瞬間、私にはその意味がすぐに分かった。私もこのやり方でならばヘッドを開かずとも打つことができる。しかし私はその方法を使わなかった。

その理由は一般ゴルファー同様に、アドレスの位置からバックスイングを始めるべきではないかという思いが強かったからだ。それで私は代わりにヘッドを軽くしていった。非力な私がアドレスの位置から思い通りのバックスイングを始めるには、結局ボールが飛ばないほどヘッドを軽くしなければならなかった。それ以降、私は左手首を鍛えると同時に、負荷の逃がし方を研究した。

彼の方法は、私がどこかで話したように、アドレスでフェイスの向きを合わせることにたいした意味がないことをも証明した。グリップさえいつも通りに握っていれば、アドレスでフェイスをどこへ向けても、ボールは真っ直ぐいつものように飛ぶ、と私はそのタイトルの中で書いた。

 
彼の手首が手術前のパワーを取り戻せば、彼は元のような普通のスイングに戻すだろう。早く見てくれと言うのは、そういう事情だ。グリーンズボロはクライスラークラシックと名前を変えたので、録画を持っている人を捜してみてもらいたい。

ヘッドを開いて構えたい衝動と、ライアン・ムーアが手首の故障のためにあみ出したその独特のスイングとは深く関わっている。実はこのストーリーは、かつてハンドダウンで打ちたいという気持ちが一瞬でも脳裏をよぎったことのある多くのゴルファーをも巻き込む話なのである。

ほとんどのゴルファーはそれをあきらめて今のスイングを作った。それは正しかったか。ハンドダウンの誘惑は奥行きのある誘惑である。

「当てるスイング当たるスイング」に代表されるゴルフスイング選択肢の最も基本のところで、ハンドダウンは形式としてではなくゴルフスイングの本質として登場していたのだが、常に悪いスイングとしてコーチたちに一掃されて来た。

確かにハンドダウンでスイングすることには問題が多い。しかしやむを得ずするハンドダウンは、ゴルファーが本能的に感じる、ぼんやりとはしているが、しかし一つの希望のスイングを捨てきれないために行われている。

ハンドダウンの真相を書くには、デイヴィッド・デュバルのスイングは避けて通れないし、彼のスランプの原因も語らねばならない。それと、伊沢プロの素晴らしいスイングと手首の痛みにも話は及ぶはずだ。それらすべてがハンドダウンの真相を教えてくれる。

伊沢プロもフランク・リックライターも、本質的にハンドダウンのスイングを無理にハンドアップでこなしていたが、左手首に無理があるから故障した。彼らはその負荷を避ける方法を知らなかった。

 
「ゴルファーに愛を!」の閲覧ベスト3には「ストロンググリップの亡霊」というマイナーなタイトルが入っている。「飛距離の出し方」を読むのは平凡だから当然としても、なぜ「ストロンググリップの亡霊」が他を圧倒して読まれるのか。

ハンドダウンとストロンググリップは、同じ故郷を持っている。どちらも同じスイングイメージから生まれている。この二つはスウェイと共にゴルフレッスン屈指の悪玉として扱われてきた。しかしその源泉にあるはずの幻のスイングは、理想を求めるゴルファーが後ろ髪を引かれながら別れた思い出のスイングである。

小松原さんのマネではないけれど、竹刀をスクエアグリップで握る剣士はいない。剣は基本的に縦に振るからだが、ゴルフスイングが横に振るものという現実を一時忘れて、アドレスないしはインパクトのところだけを考えると、その位置でもっとも頑丈な構えは、右手スライスグリップの左手ストロンググリップ、つまり小松原さんの言った通り雑巾を絞り切った形のグリップである。

同時に、雑巾を目一杯絞れば、その時のグリップは誰がやってもハンドダウンになる。普通のゴルフスイングのアドレスの形は、お世辞にも頑丈とは言えない。木登り用に作られた手は、鉄棒には向いていても、ゴルフには向かない。

いや、もっと正確に言えばスクエアグリップで握るゴルファーには適当でない。ハンドアップスイングを忘れて、ひたすらインパクトの形だけしっかり頑丈にしようと神経を集中すると、どうしてもその構えはストロンググリップのハンドダウンにならざるを得ない。

これは人種民族の枠を越えた事実である。関取の膝が伸びれば、白星は危うい。膝はしっかり曲がって、強い体勢でいなければならない。それはハンドダウンと同じことだ。しかしハンドダウンの定理のままゴルフスイングをするには、今度は力学と戦わねばならない。

スイングを追求するゴルファー全てが、必ずこの壁の前で逡巡(しゅんじゅん)する。どうするべきか考えあぐねて立ち往生するのである。そしてほとんど全てのアマチュアゴルファーと、七割ほどのプロゴルファーが力学に屈する。彼らはスイングプレーンという絵に描いた餅に走るのである。

私の基準クラブはライ角を少しフラットに改造したミズノのゼファーという古いバッフィーで、スイングに迷いが出ればこのクラブを握ることにしている。ある時、アイアンのアドレスが決まらなくて悩んでいた時に、何日間もこのバッフィーと3番アイアンを繰り返し握り替え続けた。

 
その時ふと、左手の人差し指にかかるクラブの重さの違いに気付いた。バッフィーはかなり軽く作ってあるのに、左手の指にかかる重みはバッフィーの方が大きい。シャフトの長さのせいではない。それはつまり、アップライトに持つ場合とハンドダウンでフラットに持つ場合と、たとえ同じクラブでも左手の指にかかる重みが違うということを意味する。

 
クラブを水平に持てば、左手の人差し指にかかる重力は、アップライトに握った場合よりもかなり大きい。指に食い込むシャフトの重さの違いは実際握ってみればわかることだが、それがスイングイメージを確立するのに影響する。左手の指にシャフトの重みを感じる方が、スイングイメージを作りやすい。

銃を撃つ引き金をトリガーと言うが、これは軽すぎても重すぎてもうまくない。少なくとも軽すぎる場合は、正確な発射タイミングが取れないだろう。これも確かに前にどこかで書いたと思うのだが、左手の人差し指はゴルフスイングの核心を左右する場所かも知れない。ここに鋭敏な感覚が得られなければ、スイングはコントロールされない。

もう一つ、ハンドダウンを捨てきれない事情がある。駄目だという最終決定を出すには確固とした理由が必要だから、謎が残っていれば、あるいはどちらがどういいのかという説明が出来なければ、消去できない。

アイアンをハンドダウンで構えてみてください。そこから、そのアイアンヘッドをアドレスの位置に置いたまま、徐々にハンドアップさせると、スクエアに構えたはずのフェイスは、段々と開いていくのがわかるでしょう。無理にスクエアを保とうと努力すればするほど、心の闇が迫ってきます。私はずっとその闇と戦ってきました。

 
フェイスが開くのは解剖学的に自然ですから問題はありません。(ラディウスとウルナが、オサ・マヌスの変化に対応して位置を変えるため。)この現象はスクエアグリップで握る全てのゴルファーに当然起こることなのです。ところが、グリップをどんどんストロングに握り替えていくと、あるところでこの変化がなくなる場所があります。

 
つまり、どんな構えからでも、またインパクトでシャフトと腕のなす角度がどんなにセットアップと違っても、フェイスの向きが全く変わらない握り方がある、ということです。ハンドダウンの誘惑が、ストロンググリップと密接に関係しているのはこの事情によるのですが、かといって、どうしてもこれらを一組と考えなくても済む方法もあります。

スクエアグリップとは何か、ストロンググリップとは何か、そしてハンドダウンとは何か。ヘッドを開いて構えたい衝動は一体どこからやってくるのか。ライアン・ムーアはなぜあんな不思議な打法を考え出したのか。

ハエたたきを買って、ゴルフクラブの代わりに構える。何かを打つわけではないので、面を上に向けて構える。その面はスイングプレーン上の、幾何学的にはスイング面に含まれる面である。

どこまでバックスイングしても、ハエたたきの面をスイング面に含ませておくことが出来る。それが出来れば、クラブフェイスはどこででもスイング面に対して垂直であり続け、つまりボールの近傍でならば必ず目標を向いていることになる。ボールは必ず真っ直ぐ目標に向かって飛ぶ。

スクエアグリップで握ったとして、ハエたたきの面を上に向けてアドレスする。その上向きの面をスイング面から出さないようにバックスイングすると、バックスイングしていくうちに手首は非常におもしろい格好になる。(シャフトではない。シャフトという線をスイング面に含ませるのは簡単だが、ハエたたきの面をスイング面から出さないのは簡単でない。)その手首はセルヒオ・ガルシアの手首に似ているはずだ。

一方、ストロンググリップで握った場合は、スクエアよりは簡単だが、それでもかなり無理がある。つまり究極のスクエアスイングは不可能ではないが困難である。誠実なるゴルファーが一度は必ず夢見るスイングは、こうして忘れ去られるか、短いクラブや小さなスイングの時にだけ利用される。

ハンドダウンによって生み出されるスイングは正確でしかもパワフルなスイングである。しかし残念なことに、このスイングには照準器を覗く「眼」が、ない。

思うに、ハンドダウンという形は、パワーによって見え方が変わるだけの話ではないか。もしもこれをハンドアップで実現できるならば、照準器を覗く「眼」が出来ることになる。これは日本人の、プロを含む多くのゴルファーにとって衝撃的な予想である。

ハンドダウンのスイングはそのままでは問題の多いスイングであるが、同じ意味を持ったスイングをハンドアップで実現すれば、かなり使えるスイングになる。その基本は左手の握力である。たぶん45を越える握力があれば、可能性が出てくると思われる。私の左手は40だから、ぎりぎり足りない。

右手は職業柄60を越えていたが、最近は50まで行かない。右手の握力がどう影響するかはわからないが、要は左手の握力が45を越えれば、ハンドダウンと同じスイングイメージをハンドアップのまま実践できるということだ。

多くの日本人ゴルファーの左手の握力は40に満たないと思う。ここが日本人ゴルファーの常識を覆すために必要な数値であるだろう。照準器を覗く「眼」は、ハンドダウンのスイングイメージを、そのままハンドアップで実現出来たときに生まれる。

別段特別なスイングではない。世界のゴルファーを見れば、当たり前のスイングに他ならない。その当たり前が実現できたとき、それは初めから当たり前に出来たゴルファーよりも優れたものになっているだろう。

伊沢プロの美しいスイングは倉本プロのナチュラルなスイングへと遡ることが出来る。丸山茂樹プロのスイングも似ているが、それぞれに独自の工夫が施されている。前に書いたとおり、これは彼らに共通の指導者が持っていたゴルフスイングに対する高い見識が影響したと考えられる。

伊沢プロは左手首を痛める。実際に痛めてしまうずっと以前に、私はそのことを書いていた。自分の手首を痛める方が早かったからだ。手首の負担を軽減する方法には、スイングの道順を変える方法もあれば、途中からスイング自体を別のスイングに乗せ替える、言わば接ぎ木のような方法もある。

あるいは体の回転を大きくゆったりさせることでも、手首への負荷は軽くできる。クラブをアウトサイドに大胆に振り出す、河野高明プロ独特のスイングは、手首の使い方は違うけれど、手首の負担を軽くする。ライアン・ムーアが今回の非常事態に際してこの手を使う可能性もあっただろう。

レイモンド・フロイドはスイングを接ぎ木した。そしてジム・フューリックは手首への負荷を逃がし続けるルートの開発に成功している。丸ちゃんの感性は、それらの多くについて、すでに気付いているようにも見える。

最後にデイヴィッド・デュバルの話だが、彼はハンドダウンのままゴルフスイングを作った。正確でパワフルなスイングは、しかし照準器を覗く「眼」がないので、彼のショットはまさに神がかり的だったが、一度そのショットを見失うと元に戻れない。彼がどうやってあれだけ精密なショットを行っていたのか、それはわからない。

照準器が壊れたら治せばいいが、神がかりは治せない。彼がこれから先、そのハンドダウンのスイングに照準器を付けるか、あるいはかつての神がかりをもう一度再現するための試行錯誤を繰り返すか、それもわからない。

照準器を付けるにはスイングイメージを何一つ変えることなしに、ハンドダウンからアップライトへ移行しなければならない。神がかりを再現するには、その時何が起こっていたのか、本人だけが知っている何かを、思い出すしかない。しかし私の凡庸な頭脳ではどうしても思いつかない。

ハンドダウンの正確さは、普通に考えればあれほど精密なショットを約束するものではあり得ない。だからデュバルはそのとき天才だったのかも知れない。もしも彼の方法が文書などによって説明の出来るものであれば、ハンドダウンのままより精密なコントロールをする方法を一般化出来るが、今のところ私にはわからない。筆者

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