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パターは練習すればそれなりにうまくはなるだろうが、初めからパットが馬鹿にうまいゴルファーほどには上手になれないと感じていた。しかし事情が変わった。思うに生まれながらパットのうまい人というのは、目標を見たあと目をつぶっても、しばらくの間はまるで目を開けているのと同じように目標が見えているのではないのだろうか。

トランプの神経衰弱は将棋や碁の名人でない限り大人よりも小さな子供の方が強い。彼等の頭の中には写真のようなものが記憶として見えている。トランプを数字と位置に還元して覚える大人とは違う。それと同じように、パットのうまいゴルファーはボールを見ていながらカップまでのラインも同時に見ているのではないだろうか。

普通ゴルファーはラインの後方からラインを読む。しかしボールを打つときにはボールを見なければならない。不安になると何度もラインを読み直しに行くのだが、何度やってもその記憶はパッティングのアドレスを取ってボールを見ている間に薄らいでいく。

しかもラインを読む場所とアドレスでは場所が違う。どんな形か知らないが、先天的にパットがうまい人は、ラインを後方から見ながらパット出来る脳の働きを持っているのだ。それならうまくて当たり前だ。

私は車で走っているとき滅多に地図は見ないが、ある時、助手席で地図を逆さにして見ているのがいた。それは私にしてみれば非常な驚きだった。理由を聞いてみると、車が向かっている方角を上にして見ないと訳が分からないのだという。

確かにそうやってみることもできる。しかし私にとってはどちらでも同じ事だし、字が逆さまになる分見にくい。

これは私の脳が何らかの処理をして、地図上で下に向かって走るときでも、全く不便がないようにしているのだろう。たぶんそれは訓練で出来ることだ。そう言えば私は腕時計を初めてはめた子供の頃から時計は逆さにして付けている。誰かに時間を聞かれたとき、相手に腕を見せればすぐ時間が読めるから面倒がない。

自分が読むときは文字盤は逆さまだが不自由はない。瞬間に文字盤を逆さにするような脳の働きが出来ているらしい。左利きの人は何事につけ右利きの人を参考にしなければならないだろうから、たとえば左利きのゴルファーは右利きのゴルファーのスイングを見てそれをすぐ左利きのスイングとして認識する脳を持っているに違いない。

しかし地図を逆さにしないと車の行き先がわからない人がそれほど沢山いるとは思えない。訓練か知能かはわからないが、どちらにしろパターがうまいゴルファーは明らかに脳の働かせ方が違うのだ。それはちょうど、一人がラインを読みながら、もう一人がパットするという光景を、たった一人でやっているのと同じ事ではないだろうか。

ボールの後方からラインを読んで力加減を決めている人が、そのままそこでじっとしてラインを見つめながら、しかもボールを打っている。もしかするとグリーンに寝ころんで、うつ伏せでビリヤードのキューを握り、カップを見つめながら狙いを定めて打っているのかも知れない。ただ実際の体だけが起きあがってアドレスし、ボールを見て打っている。まるで超能力のようだが、確かに彼らはそれをやっているのだ。

この仮説が正しければ、私たちがもしもカップを見ながらパットできるように練習すれば、それは天性の才能が行う脳の中での働きと似た技術の一部分を、「努力」の二文字で勝ち取るということにならないだろうか。事情は変わったのだ。パットの練習に予想以上の大きな意味が出てきた。

まずボールを見ないでカップを見つめ、そのままボールを打つ。練習でそれが出来るようになってもそれだけでは脳の活動はほとんど以前と変わらない。第一そういう練習は昔からある。ただそれは、今までラインの方をイメージとして、ボールの方は実視して打球していたものを逆にしただけだ。

カップを見ながらパットするということは、ボールの方がイメージで、パットのラインはリアルモードだ。この打ち方をリアルモードパットと呼ぶとすれば、今までは仮想モードでパットしていたことになる。

初めのうちリアルモードは不安だ。何しろボールを見ていないのだからボールをうまくヒットできるかどうか心配だ。しかし考えてみれば今まではラインを見ないで打っていたのだから、逆にどれくらいの力加減で打ったらいいのか不安だったはずだ。

パットは方向より距離感だ。曲がるラインでは特にそうだ。もう少し弱めに転がしていれば入ったとか、もう少し強ければ入ったという事ばかりだ。力加減次第でパットラインは無数にある。

真っ直ぐのラインでは、カップインするぎりぎり弱い力加減から一番強い力加減まで、力加減は無限に細かく数えることが出来るが、そのどれでもカップインする。ところが曲がるラインではその力加減のひとつひとつにそれぞれたった一つのラインしかない。力加減によって無数のラインが存在する。

しかもその一本一本にたった一つの力加減しか有効ではないのだから、それだけ力加減が大事なのだ。力加減を決める情報はラインから来る。リアルモードではラインを見ながら打てるから、力加減という微妙なことがらをイメージに変換する必要がない。何しろ見ているのだ、ラインを。

リアルモードが出来るようになっても、それでもまだパターの名手の才能には及ばない。ボールを打つ方をイメージに変えるということは、それがある程度出来るようになると、それまでやってきたラインの方をイメージする技術と共に、両方ともイメージに出来るということになる。それは何を意味するだろうか。

普通のゴルファーのようにラインをイメージにする仮想モードから始めて、次にボールの方をイメージにするリアルモードへと進む。その繰り返しによって脳に何らかのシステムが出来上がる。全てはまずパットに必要なものをイメージとして正確に取り込むことであり、それがシステムに取り込まれて複合的なイメージとなる。実際には立ったままボールを打つのだが、気分がビリヤードであればパットの名手と変わらない。

これは訓練でパットの名人になれる、かも知れない話である。ここに書いた練習一つ一つは誰でも経験しているが、その目的が明確でなかった。今その目的がはっきりすれば、それはほとんど達成されたに等しい。何のために何を練習するのか、それを知っていて初めてパット練習に価値が生まれるのである。

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