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デンマークのオウリ・クリステンセン・レーメルが、光の速度は無限ではなく、ある有限な値を持っていることを突き止め、その速度を計算したのは、アインシュタインの相対性理論どころか、ニュートンの力学より十数年も前のことだった。それは実験物理学最後の、そして最高の栄光だっただろう。

レーメル以降、マイケルソンらがそこそこの業績を上げたことを除けば、今や実験は理論を証明する手段に過ぎない。実験による新発見が、新しい理論を生み出す引き金になることはなくなってしまった。しかしどんな理論でも、実験による証明なしには胸を張って生きるわけに行かないのだから、実験物理学は永遠にその輝きを失うことはない。

光は1秒間に地球を7回り半するが、ジャンボジェットは一回りに40時間ほどかかる。この差の大きさを覚えていて欲しい。私にとっての究極のゴルフスイングは、あった。そのスイングならば、確実にショットの精度は上がるのだが、そのスイングと普通のスイングとの差は、空気の分子が一つ二つ余分にボールに当たるか当たらないかの差と同じくらい小さい。

あるショットがピン横3メートルになるか、あるいは5メートルになるかを決めるのはスイングではない。究極のスイングは、確実に、より正確に打てるが、その差自体は、グリーンに落ちたボールが芝生に影響される度合いが、その芝生の成長具合が1秒早かったか遅かったかほどの差にしかならないだろう。

ジーン・ザ・マシーンでは深く言及しなかったが、センサーの負担を軽くするための二つの方法のうち、クラブフェイスの変化を小さくする方は一般的でない、と書いたわけは、それを突き詰めると、スイングが奇妙になるからだ。

ジム・フューリックのスイングを変則と言うのは真実が見えない凡人の目で見るからに過ぎない。多少ともスイングに詳しい人たちは、彼のスイングに、何となくケチをつけかねる、くらいの知性は持っているだろう。

彼のスイングはほとんどゴルフスイングの究極に近いのだが、かといって彼の勝利はそのスイングのせいではない。彼のスイングもやはりピンそば5メートルを3メートルにするものではない。

しかし、そのスイングによって作られる自信が、彼のショットを作っている。それは間違いない。究極のスイングは、見方によればごくつまらないもので、ただスコアを良くしたいと思う程度のゴルファーには何の意味もないが、ゴルフスイングとは何かを極めたいものには、どうしてもたどり着きたいゴールなのである。

腰痛でスイングが出来なくなるにしたがって自分のスイングが見えて来るという皮肉は、私に光の速度が有限でしかもこの世で最速であるということを思い出させた。誰でも最速があればそのちょっと上がどこかにきっとあるだろう、と思ってしまう。そこに錯覚が生まれる。

重い物を動かすのはしんどい。これは誰にでも納得のいく話だ。そして物が動くとその速度に比例してそれはもっと重くなっていくという事実を了解すれば、限りなく無限に重くなれば、それはもはやそれ以上無限に速くは動かせないだろうということは、何となくわかる。これを相対性理論と呼ぶ。

光速が質量と速度の板挟みになっているということがわかると、私たちの無限信仰に論理的な歯止めがかかる。これを知性の勝利と言う。無論これが全ての真実だとは思わない。

パットの究極はとうにわかっている。そして究極のスイングも見えた。しかし腰痛もほとんどゴルフにならないほど究極になってきている。餓死寸前になってから20年以上生きて来られた。

時間との戦い、とよく言うけれど、二千年の歴史を一ヶ月で読破しても、それは一ヶ月の歴史に過ぎない。人生の長さよりも長い歴史はない。十代でそれに気付く賢い人もいるだろうが、私は頭が悪すぎた。それがわかるのが遅かった。筆者

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