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メンコという子供の遊びはもはや化石になりつつあるが、技術とパワーの総合力で戦う立派なスポーツだった。相手のメンコが大きくて、とても自分のメンコの風圧では裏返せない場合、相手のメンコの下に自分のメンコを滑り込ませれば、それでも勝ちだ。

このルールがなければ、メンコはパワーばかりのつまらないスポーツになっていただろう。ゴルフの将来が心配だ。思い返せば子供時代はメンコとたこ上げ、セミ取りにトンボ取り、それが全てだった。

メンコは物を取り合うから教育上好ましくない、と、いかにも日教組が考えそうなことだが、いつの間にか廃(すた)れていって、それと共に子供の体力もゲームボーイで廃れていったし、何より子供の世界観に、現実の社会を見据える目が希薄になってしまった結果、思いやりのない非現実的な夢を見る子供が増えた。近々そういう子供たちが大人になって、恐ろしい世間になってきた。

自分にとってそれが究極のスイングだと思うスイングに疲れ果てたとき、手招きをして私を呼ぶスイングが二つある。ひとつはハル・サットンというゴルファーのスイングなのだが、もう一つがメンコでゴルフである。このスイングはフライングエルボとメンコが合体して出来ている。

メンコは地面にメンコをたたきつけるスポーツで、正確に、より強くたたきつけようとはするが、バックスイングだの何のとスイングを考えることはない。ただひたすらたたきつけるばかりだ。

メンコを投げるとき、右のヒジは外側に開く。メンコは上から地面に向かってたたきつけるから、わきは開く。これがフライングエルボである。ゴルフはクラブを振り回すスポーツだから、回転ということでわきが開いてはいけないことになっている。

それでフライングエルボは御法度なのだが、メンコと同じようにクラブヘッドを地面にたたきつけることだけ考えると、フライングエルボはメンコと同じになって、しかも理想的である。

一般にパンチショットと呼ばれるスイングがあるが、定義が曖昧で、フォローを取ればただのスイングになる。パンチショットは低いボールを打つためにフォローを取らない。フライングエルボだとメンコと同じだから如何にもパンチショット風になる。

メンコ打ちは単純明快で楽しい打ち方である。残念ながら、初心者がいきなりやるとゴルフにならない。それでみんなやめてしまう。もう少しがんばればいいのに。メンコ打ちは究極のゴルフスイングに比べると極めてシンプルである。

初めからわかっていたら、人生かけてスイングの探求などしなかった。うまくなるだけならメンコ打ちで沢山だったのだ。そういえば、レティフ・グーセンの右ヒジはフライングエルボに似ている。

スタドラーだけがフライングエルボの亜流として生き残っていると思っていたが、グーセンのヒジは、フライングエルボでないように見せかけてはいるが、スイングの構造がフライングエルボと同じだ。ニクラウスはグーセンのスイングに気付いていないだろうが、きっと彼のスイングが好きだろう。

もう一つ手招きするスイングがノーコックスイングである。ノーコックスイングは滅多にお目にかかれるスイングではない。ノーコックに見える、あるいはノーコックと自称するスイングのほとんどはノーコックではない。レスコックというか、消極的コックスイングである。本当のコックレススイングは手首を動かさない。

手首は使う気がなくても動くもので、意識的に手首を使わないからそれがノーコックと言うわけには行かない。動いてしまう手首を押さえ切って動かさないためには莫大なパワーを必要とする。大抵の自称ノーコックスイングは、バックスイングでコックをしない、というだけである。

ところがダウンスイングでクラブを振り回してくると、そのスピードに手首が負けてコックが起こる。自然なコックという言い方もできるだろう。しかし自然だろうが何だろうが、コックはコックだ。

この自然なコックを止めるにはスイングを相当遠慮しなければならない。あるいはとてつもなく強い手首を作らねばならない。それほどまでしてノーコックにこだわるゴルファーはまれだ。

丸ちゃんのスイングも伊沢プロのも、そして倉本プロのスイングも比較的コックを使わない。見方によればノーコックだ。しかもスイングが似ている。学校が同じらしいので、きっと先生の趣味だろうが、なかなかいい趣味だ。私のような無理矢理のノーコックよりはずっと洗練されている。

ノーコックはアドレスで構えたら、手首をコンクリートで固める。あるいは固めたつもりでもいい。それでバックスイングできるか?出来ないだろうと思う。シャフトはどこに上がるか。とんでもないところに上がる。そこからダウンスイングできるか?出来ないと思う。それがノーコックスイングだ。

ホームランバッターが打席でバットを構えると、バットはホームベースに被さるように倒れ込んでいる。何という威圧的な構えだろうか。しかしパワーのないバッターにそれはできない。あそこからバットを振り出したら手首を破壊する。ビニールのおもちゃのバットならば誰にでも出来るポーズだが、それはバットが軽いからだ。

ノーコックスイングのトップは、それは実際に手首をコンクリートで固めてやってみるとわかるが、とんでもないところへ行く。実に何というか怪しいトップオブスイングだが、それよりもそこから打ち出すのはもっと怪しい。ノーコックはスイング平面などというきれいごとを超越して存在する。そこにあるのはジム・フューリックのパラボラである。

ノーコックに近いスイングをするゴルファーは、それぞれに工夫してトップを作っている。微妙に手首の形を変えながら、それでも出来るだけアドレスの時に作った手首の形を崩さないように努力する。

30年以上、私はレイモンド・フロイドのスイングを考え続けた。彼はノーコックではない。しかし明らかに昔ノーコックを標榜したゴルファーである。少なくともゴルフに関して、彼は極めて真面目だった。

今一人、私が考え続けたゴルファーがいる。それはラリー・ネルソンである。彼のトップはノーコックで必然的に作られるはずのトップオブスイングに限りなく近い位置にある。しかし彼は怪力ゴルファーではないから、そのトップからいきなりダウンスイングに入るパワーを持っていない。彼は神に愛でられたゴルファーなのかも知れない。実に巧妙な解決策を見いだしたのだ。

ノーコックがいいスイングだとは思わない。ただ、一度はやってみるべきスイングである。それはたぶん人間が、マシンのような正確な動きにあこがれる性質を持っているからだろう。正確な動きというのは、動きを濃縮するというか、エントロピーを逆走させることなのかも知れない。

ちなみにこの世でもっとも美しいスイングはブルース・クランプトンのスイングである。その美しさは圧倒的で、研究するのもおこがましいほどだったから、私は手を出せなかった。筆者

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