« 0136 小さな棘(とげ) | トップページ | 0138 慣れとは何かわからないが »

微塵のストレスもない完璧なバックスイングの初期動作のためには、あらかじめヘッドを開く必要があるという話をして来た。この話はヘラクレスの体力を持つゴルファーには無意味な話だが、人間ゴルファーにとっては大小の差こそあれ、常に真実である。この話に何の反応も示さないゴルファーはゴルフを知らない。

並外れた体力を持ったゴルファーでも、プロゴルファーならばそれを知っているに違いない。各自がどのようにこの問題を処理したかはわからないが、処理できずに一流プロになれるわけもない。団扇(うちわ)を動かせば角度によって抵抗の大小が生まれる。

団扇で扇(あお)ぐとき、空気の抵抗自体はパワーで制御できるかも知れないが、団扇の柄の角度を100分の1ミリの精度で一定に保つことは、つまりトルクを制御することは簡単ではない。しかしその精度が200ヤード先の目標に対して効いてくるのである。

そこで、最も空気抵抗の少ない角度に団扇をセットしたくなる。たとえ抜群のパワーを持っていても、抵抗が大きければ大きいほどコントロールが難しくなる。ヘッドを開いて構えたい衝動とは、そういうことである。飛行機は飛び立ってからしばらく水平飛行して、最後に目的地に降りる。

離着陸時に飛行機のフラップは特別な状態になる。ゴルフスイングの逆で、最も抵抗の多い形になって揚力を得るのである。そして水平飛行中は抵抗を最小限に押さえる。ゴルフスイングの場合には出来るだけストレスのない状態でバックスイングを始めなければならない。出来れば風見鶏でいられれば最高だ。

しかしアドレスという照準器は、風見鶏に90度の位相を与える。ここが問題になっているわけだが、パターの形状が段々変化して、フェイスの幅に対してヘッドが後ろに大きくなっていくのも、風見鶏という照準を大事にしたいと思うゴルファーの心の反映である。

ヘッドを開いて構える話に乗ってこないゴルファーの中で、ただ一種類のゴルファーだけ、その気持ちが理解できる場合がある。それはボールを左足かかとの延長線上に置くゴルファーである。

理論的にはそれよりももっと左に置かなければおかしいのだが、少なくとも左足かかとの延長線上にボールを置いて打つゴルファーにとって、ヘッドを開く必要は少なくなる。

このニクラウス流のやり方では、言ってみればヘッドはすでに開いている。理想的だとも思えるのだが、残念ながらその位置でスイングすると、ボールは打てないことになっている。打てることがおかしいのだ。実は、私がずっと困っているのはそのことだった。

ニクラウスに逆らう気持ちは更々ないが、何千回試してみても、アドレスでスクエアに構えていながらフェイスをそれ以上開きたいという必要を感じない場所は、スイング中に体を相当左へスウェイさせない限りヘッドがボールに届かない場所だった。

つまり、アドレスで正確にフェイスを目標に向けなければいけないのなら、私はボールのかなり前方にアドレスしなければ済まないが、それではボールが邪魔でバックスイングできない。

ところが、クラブのロフトが大きくなるにつれて、その困難が薄れていく。それが自分自身の目の錯覚によるごまかしなのか、それともそこに何か私の知らない真相があるのか、それはまだわかっていない。 筆者

« 0136 小さな棘(とげ) | トップページ | 0138 慣れとは何かわからないが »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 0136 小さな棘(とげ) | トップページ | 0138 慣れとは何かわからないが »