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「ゴルファーに愛を」に一息つこうかという頃、私はスワンネックのゴルフクラブを自分用に作り始めた。元々は「正統派ゴルフ嫌い」のために考え出したクラブで、自分はすでにゴルフ病患者だから使わないものと思っていた。ところが年に何回かゴルフをすると、相変わらずウェッジでシャンクが出たり、ショットが左右にブレる。

ミスが出るのは疲れが関係している。記憶をたどれば最初のシャンクは14番あたりから出る。インから回れば5番ホールが危ないのだろうが、その原因は初心者と同じで、やはりヘッドのトルクである。プロのようにラウンド数が多く鍛えていれば別だが、アマチュアゴルファーはラウンドをしている間に相当体調が変わる。その上ラウンドの間中ずっとある種の緊張を強いられる。

この緊張は、本来曲がっているものを、力でもって懸命に真っ直ぐ伸ばしている状態に似ている。しかもそれ自体はゴルフそのもののための力ではない。歪んだクラブを真っ直ぐに使おうという努力に過ぎない。しかしゴルフに集中すると余計なことはつい忘れてしまう。疲れてくると、クラブの歪みを押さえるという、ゴルフとは本来無関係なことを忘れる。(無関係どころか、これぞゴルフ、と言う古典派もいる。)

仕事上の心配事などを考えながらゴルフをしていてはうまくないだろうが、滅多に出ないような最高のティーショットが出て、もうボールはグリーンのすぐそば、ここでうまく寄せればバーディーも夢ではないと思ったとたん、ウェッジでチョロしたりシャンクが出たりする。そのとき、心配事は頭から消えていただろう。それと同じだ。

つまり、ゴルフは歪んだクラブを真っ直ぐにしておくという余計な作業をしながら、プレーもしなければならない。それを忘れたり、あるいは意識していても疲れのために必要なパワーが出なかったとき、ミスショットになる。多くの熟練したゴルファーはラウンドの途中からミスショットが出始める。それを年のせいだと思う。

しかしそれはある意味正しいが、別の意味では間違っている。ゴルフが下手になったわけではない、とも言えるし、やはり結局は下手になった、とも言える、微妙な話だ。年のせいで飛距離が落ちるというのは間違いないが、道具の進歩が体力の衰えに逆走している間は、飛距離は落ちない。実際に飛距離が落ちるのは先の話だ。

ところが、50を越えると今まで無かったミスが出始める。つまり体力が落ちて一番困るのが古典的クラブの持っている歪みだ。ゴルファーは好むと好まざるとに関わらず、歪んだクラブを真っ直ぐにしてボールを打たなければならない。それはたとえば「ぬんちゃく」を握りしめてバッターボックスに立つ野球選手に幾らか似ている。

野球のバットが「ぬんちゃく」と決められていれば、それが野球だし、「ぬんちゃく」の方が飛ぶかも知れない。そういう意味では、古典的ゴルフクラブでゴルフをする限り、年を取ってラウンドの後半にミスショットが出るのは古典的ゴルフクラブの属性であり、それを使う限りゴルフ自体の属性であるから、やむを得ない。

ゴルフのように慎重に構えてスイングをしているのに出てしまうミスショットは、たとえ疲れていることを認識していても、出る。それは疲れによって出るミスショットのメカニズムがわからないからで、だからただ疲れたからとしかいいようがなく、処置のしようもない。原因が分かっていれば、疲れを考慮していさえすれば何でもないことなのだ。

しかしゴルファーにはその原因はわからない。誰もその原因がクラブの歪みとは思わない。普段からクラブの歪みを押さえつつナイスショットをしていることに誰も気付いていない。古典的ゴルフクラブは、ただ振っていたのでは真っ直ぐ飛ばない。それは世界中の初心者ゴルファーが証明していることだし、上手なゴルファーもかつて経験している。

ゴルファーは練習によってただうまく打てるようになったわけではない。野球のバッティングとは本質的に違うのだ。バッティングにもテクニックはあるが、それはかなり高度なレヴェルになってからの話である。テクニック無しでもバットは振れるし、ボールも飛ぶだろう。

それに対してゴルフは初めから二つの仕事を同時にこなさねばならない。古典的クラブもボールも飛ばすために特化された。特化された分だけ歪みが増える。素人が見て何をするための道具かわからないほど特化された道具は珍しくないが、プロが使えば他に代えることのできない能力を発揮する。

しかしゴルフクラブを構えてみれば、それはゴルフをするためにちょうどいい道具だと誰でも思う。ちょっと握りが細すぎるかなと思うくらいで、違和感はない。それがゴルフの落とし穴になってしまった。たとえば野球のバッティングでは、バットを普通に振っていれば普通に野球が楽しめる。

そのずっと先になって、ホームランバッターはもっとホームランが打てるようにバットを細工するだろう。彼らはグリップを削り、折れない限界まで細くしようとするだろうし、頭の方もやや細く作るだろう。明らかにその方が飛ぶ。しかしヒットを量産したいバッターは逆にグリップを太くするだろうし、先も丸太の如く太くしたい。飛距離は出ないが正確に打てるからだ。

ゴルフのグリップが細いのはそういう理由である。従って打率が欲しければ太いグリップの方がいいが、飛ばなくなる。ゴルファーはホームランバッターであると同時に首位打者でありたいと願う。余程のパワーがなければ細いグリップでないと飛距離は稼げない。従ってゴルファーはまず細いグリップを選択する。いや、ゴルファーが選択するのではない、それしか売っていないだけだ。

この話は古典的クラブの歪みが生まれるストーリーのプロローグに過ぎない。グリップだけ見ても、ゴルフクラブは相当に歪んでいるのだ。この後に続く歪みの話はもっともっと深刻で重い。ゴルファーはプロ野球のホームランバッターでもないのに、彼らが飛距離に特化し果てたモンスターのような道具で野球、いやゴルフをしなくてはならない。プロの首位打者でも使えないバットを、ゴルファーはいきなり持たされる。

年を取ってラウンドの後半に起こすミスショットの多くはアイアンで先に起こり、後になってドライヴァーでも起こる。体力が原因ならば、その順序は逆になるはずだ。ティーショットの方が余程力一杯打つのだから。無論結局は体力が原因なのだが、アイアンの方がドライヴァーより先にミスが出るのは、アイアンの方がより古典的だからである。つまりヘッドのトルクが大きい。

当たり前に打っているときに、自分が何に体力のほとんど全てを使っているか、ゴルファーは知らない。上手になればなるほど知らなくなる。初心者は元々それを知らないからこそ悩む。これがゴルフだ。なぜわざわざ折れ曲がった箸で大豆をつかむようなまねをさせるのか。それではまるで罰ゲームだ。

イヤミな奴ほどゴルフがうまいのは偶然ではない。古典的なゴルフクラブを使ってのゴルフは罰ゲームに近いものがある。それでゴルフを嫌う人間が出てくる。不思議でも何でもない。

「ゴルファーに愛を」は、歪んだクラブとは知らずにそれに振り回されるゴルファーの泣き笑いを書いた。スワンネックの話がたびたび出てきたのも、スワンネックには歪みがないから、それを使えば、ゴルファーがこれぞゴルフの醍醐味だと信じている全てのショットが、いい方も悪い方も含めて根こそぎ無くなるからだ。

ゴルファーはゴルフを知らない。というよりクラブを知らない。ゴルファーが泣き笑いしているのはゴルフにではなく、ヘンテコリンな道具のヘンテコリンな挙動に対してである。そしてそれを上手に使うゴルファーを尊敬する。それは筋違いだ。

子供の頃、母に連れられてしばしばイイノホールへ出かけたが、日本舞踊には感動せず、昼の弁当に感動していた。上手なゴルファーに感動するのも、弁当に感動するのも、大いに筋違いである。

スワンネックが一般化するかどうかはわからない。古典的ゴルフクラブにはキュートな悪魔が住んでいるから、ゴルファーはスコアを楽しむのかショットを楽しむのか決めかねるだろう。懐具合があるから、高価でおいしいものをちょっと食べて後は空腹に耐えるか、あるいはさしてうまくはないが手頃な価格のものをたらふく食うか、選択に迫られたゴルファーは迷わずうまいものを食う。そのかわり悲惨なスコアに耐えるのである。

私は富士山山頂の時計よりもふもとの山中湖の時計の方がゆっくり動くことを信じない。しかし現実には放送衛星に乗っている時計が地上よりもゆっくり進むのを知っていて補正している人たちがいるし、そういうことをしなければG.P.Sを使った自動車のナヴィは不正確で使えない。そういう事実が分かってからもう百年近くたつのに、それでもなお、私はまだ一階の時計が二階のよりゆっくり動くとは信じていない。

スワンネック無しにゴルフを考えるとして、歪んだクラブをどう使うかは、ゴルフレッスン書に全て書かれているだろう。どうスイングすればいいか、プロのレッスンでも教えられることだろう。それらは全て正しい。しかしそれにしてはレッスン書が多すぎる。真実は大抵シンプルである。

少なくとも真実前夜の喧噪(けんそう)に比べれば静かである。その真実が見つからない間は、わかっている限りの事実が山のように積み上げられる。その事実の中には事実同士が矛盾する事態も起こる。そこで赤白分かれて合戦が勃発する。あちらこちらでそういう戦いが繰り広げられる。それにつれて事実もさらに増えていく。多くの人々が興味を持ちながら真実に至らない状態が、レッスン書の山となって現れる。

ゴルフクラブは歪んでいる。悪い意味で言うのではない。上手になれば最高のパフォーマンスを約束するように特化されている、と言った方がいいかも知れない。だから普通の人間にとってみれば、真っ直ぐだと思ったら誤差が出る。その誤差がゴルフをややこしくする。たったこれだけの真実を知らないばかりに、ゴルフ嫌いが生まれ、ゴルフレッスン書が山となり、下品なシングルゴルファーがはびこるのだ。

そこで普通のアマチュアが普通にゴルフを楽しむための、普通でない話をしようと試みた。それが「ゴルファーに愛を!」である。プロゴルファーの多くはクラブの歪みを知っている。知っていて使っている。あるプロゴルファーはその歪みをコントロールすることこそゴルフだと信じている。

デイヴィス・ラヴ3世やフレッド・カプルズのスイングはまさしくそういうスイングである。しかし「ぬんちゃく」の方が飛ぶからといって、ホームランバッターがバットをやめて「ぬんちゃく」を使い始めるだろうか。

また別のプロゴルファーは、ショートアイアンのショットの誤差がなぜ起こるのか真剣に悩んでいる。これだけ正確に打っているのに、どうして誤差が出るのか、クラブの性質を疑い始めている。人間の感覚の限界を越えた小さな「ゆらぎ」が働くのではないかと、8番アイアンをじっと見つめる。

「ゆらぎ」を疑うのは知的である。しかしそれはたぐいまれな運動神経を持ち、かつ限界まで練習したゴルファーだけに許される疑念である。ゆらぎのない、あるいはゆらぎの小さいクラブを使ってはいけないという規定はない。発想のない者はただ夢にも思わないだけだ。

スワンネックというクラブは実在するクラブであるが、たとえそれが幻想の中だけのものであっても、依然として重大な意味を持っている。歪みのないスワンネッククラブで起こることと、古典的クラブで起こることの対比の中で、ゴルファーは自分自身のゴルフスイングについて、ほぼ全ての悩みを劇的に解消するだろう。

原因がわかればそれだけで十分だということは、ある。スワンネックを使う必要は必ずしもない。治す治さないは別の話であって、とにかく悩みは解消される。自分のスイングがなぜうまく行かないのか、あるいはうまく行っているのか、霧が晴れたように明らかになる。スワンネックは古典的ゴルフクラブを使うゴルフスイングの全てを教えてくれる、言わば魔法の鏡である。

スワンネックはその名前があまりにポピュラーだという理由でミズノがすでにパターとして登録していた。中身もなしにただ名前だけを先に取得しておこうという考え方はアメリカのやり方である。ありとあらゆる名前が中身なしに登録され、アメリカ人はそれを売ってお金儲けをしている。

それは最初にネットを作ったアメリカの権利である、が、情けない話でもある。そういう事情でスワンネックはイージー・スワンという名前でR&Aに記録を残した。このクラブは実在のクラブであり、ルールに適合している。本当のスワンネックはルールから少しだけはみ出しているので使えないが、残念な話だ。筆者

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