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空気のありがたみは空気のないところに行くと良くわかる。水が無くなればその価値がわかる。太いグリップを使うと細いグリップのありがたみがわかる。その価値も、限界もわかる。ベースボールグリップを使い込むと、ヴァードングリップのすばらしさがわかる。従ってその最高の使い方までわかる。見たり聞いたりするだけでは決して本物は出てこない。やるっきゃないのだ、何だって。

ただそれがいいはずだと信じて使うだけでは死ぬまでその価値を見ないで終わることが多い。見えなければ本来あるべき使い方は出来ない。高反発ドライヴァーが20ヤード余計に飛ぶから使う、というだけではいつもそれだけ余計に飛ばすことは出来ない。

飛んだボールを見て、どこまでが元の力で、どこからが高反発の効果なのか、それがわかるゴルファーが使えば、高反発は使いこなせるし、一歩進んでそれに合ったスイングを見つけられる。

アドレスで自分のボールがつま先からどれだけ遠くにあるか、正確に測ったことはないだろう。さらにはそれを知っていることに何か意味があるのかどうかは、もっとわからないだろう。

測って見れば7番で62センチ、2番で72センチだった。クラブの番手ごとに約半インチずつ変化する。何のことはない、クラブの長さの違いと同じで思いの外わずかだ。

それは気楽に構えたときと、力が入ってきたときと、変わらないだろうか。いつもと違うところにボールをセットしたことに気付かなければ、おかしなことになる、だろうか。ゴルファーはそれらの全てを知っているわけではない。

昨今アメリカではティーグラウンドでアドレスする前の歩幅から神経質にやっている。同じリズムでボールに歩み寄らねばならないというのだ。物事を物理的に整理していきたいと考えるのは確かに科学の眼である。

無意味なことを知るにはその無意味なことをやってみなければ判らない。調べることは大切である。調べもしないで初めからそれは無意味だと言うのは神の業であって人の道に反する。

ニクラウスはボールを左かかとの線上に置くと言った。実際にそこへボールを置くと、慣れない人は隣の人のボールを打っているような気分になる。ところがそれでもシャフトは幾らかハンドファーストを保っている。

だから普段ボールを真ん中に置くゴルファーは、当然ニクラウスとは打ち方のコンセプトからして違う。なぜ違ったスイングがあるのかさえ知らないのに、どちらのスイングがいいか悪いかを語ることは出来ない。

その昔クラブの本数が14に決まったのは、科学的理由でも何でもない。決めなければトラック1台分のクラブをコースに持ち込むゴルファーが出てくるからだ。シャフトの重さは理想的ではなかった。軽く作れなかったに過ぎない。クラブ屋の努力で今では幾らでも軽いクラブを作れる。

そこで初めてゴルファーはクラブの重さに関して自由を得たが、ハエタタキではボールの重さに見合わない。クラブの重さについて自由になった途端、どの重さがいいのかという持てる者の悩みが生まれる。

グリップの理想の太さはまだ発見されていない。日本に生まれることが日本の文化に洗脳されることを意味するように、初めてクラブを振り始めたときのグリップが、先入観を作る。

握り方にしても、誰でも最初はバットを握るように握ろうとする。それはいかんとゴルファーが言う。理由を知らないままに。インターロックはオーヴァーラップより進化している。オーヴァーラップはベースボールグリップより進化している。

しかし統計を取れば、進んだインターロックはオーヴァーラップより遥かに少数派である。無論ベースボールグリップはもっと少数派だ。ベースボールグリップは原始的であるが、意味も分からず進歩的なグリップを使っても、苦しいだけで効果はない。

電気のないところへ掃除機や電灯を持っていくようなものだ。それよりホウキとろうそくの方が役に立つ。3つのグリップは本来ならば等間隔に並んでいるはずだった。ベースボールグリップを使うのが一人なら、オーヴァーラップを使うのは10人いて、インターロックが100人いるはずだが、そうなっていないのはなぜか。

ゴルフグリップの神髄はインターロックにあると思うが、それがわからないならば、ベースボールグリップから始めた方がいい。それで終生済ませるゴルファーが100人、オーヴァーラップに進化するゴルファーが10人、インターロックへたどり着くゴルファーが1人、ということになるだろう。

足し算引き算だけで人生を生き抜く人が大半なのと同じで、ゴルフもベースボールグリップで沢山だ。ゴルファーが意味もわからずヴァードングリップを使うのは、受験生が意味もわからず積分するのに似ている。足し算で済むものをわざわざ積分するのは時間の無駄でしかないし、間違いの場合さえある。

クラブの長さは身長が決めるのでもなければパワーが決めるのでもない。初めて持ったクラブで練習するからそこに先入観が生まれる。しかしクラブを持たないではゴルフが始まらない。初めてクラブを持ったとき、重いとか長いとか、あるいはグリップが細いとか、そういう印象がある場合、その人は生涯それに苦しめられる。

だから第一印象を頼りに勝手にクラブを作ってしまうのがいい。与えられたものに無理矢理合わせる性質というか風土は間違っている。それは優れた人間の心に忍耐力を生み、劣った人間を傲慢にするが、そのどちらからも真実を遠ざける。そういうことは人間が人間になる前の、ガキの時代に有効なだけだ。ゴルファーはガキではない。

アイアンとウッドはギターとウクレレほど違う。ウクレレの名手はギターも弾くだろうし、ギターの名手がウクレレを持ったら素人よりうまかろうが、両方の楽器の本質を了解しているかどうかはわからない。私はウッドの方が好きだがアイアンの方がうまい。

なぜ日本のプロがショートウッドを使うのか、それが女子プロと同じで非力だからだとしても、それならなぜウッドの方がアイアンよりも非力な者にやさしいのか、その真実を知っているゴルファーはいない。いかにももっともらしいNHK風の答えはここでは通用しない、念のため。

ショートウッドはプロの世界でももっと使われていい。正確で強いショットが必要なプロにこそ、ショートウッドはうってつけなのだ。そのうちアメリカのプロもどんどんショートウッドを使うようになる。それはウッドという形状の方が理論上ブレが少ないからだ。信じられないだろうが。

ドライヴァー・イズ・ショウ、パット・イズ・マネーと言う。それでフェアウェイからのショットを、ショット・イズ・ゴルフと言う。パットとドライヴァーの打ち方が違うように、ショットはドライヴァーと打ち方が違う、はずだ。

ショットは「狙う」という意味だし、ドライヴは「遠くへ送り出す」という意味だ。ある程度方向も考えるが、それより出来るだけ遠くへ送り出すのがドライヴァーの役目だから、飛ばさなければ意味がない。

従ってドライヴァーとショットは目的が違うから打ち方も違うのが正常である。同じスイングで済ますのは経費節減には効果的だが、節約する必要がないならそれぞれの目的に一番合った打ち方をする方がいい。パターをけちって3番アイアンでパットをするのも不自由だろう。

いつもの話だが、同じ場所から5番で打つゴルファーと8番で打てるゴルファーの間には通常有利不利はない。パワーの有利はゴルフがスポーツだと言っているに過ぎないから、100メートル競走でお前の方が足が速いから有利だとぼやくのに等しい。

高い弾道の有利さは落ちて転がらないことにあるが、それが本当に有利になる場面よりも風で不利になる確率が高い。高い弾道の方がショットのブレが少ないという迷信は、巧妙な仕掛けで作られている。

科学的風な説明では、上に上がれば上がるほど左右のブレは小さくなる、という。そりゃ真っ直ぐ上に打てば右も左もない。しかしそれでは前に進まない。

ウェッジの方がロングアイアンよりピンに寄る、と言うが、200を狙って10メートルに寄るのと100打って5メートルに寄るのは確率的には同じことだ。近いから寄るのであって、高いから寄るのではない。

たった1メートル先のカップを狙うのに、ほとんど真っ直ぐ上に50メートル打ち上げる方が、真っ直ぐ1メートル転がすより寄ると、誰が信じるか。

迷信から抜け出して改めて考えてみると、ドライヴァーの飛距離が違って、残りを150から打つのと120から打つのは、それこそがハンディだ。たとえ150から8番アイアンで打てるゴルファーと、120から5番で打つゴルファーであっても、150からの方が分が悪い。遠いのだ。

5メートルのパットと1メートルのパット、どちらもパターで打つから有利不利はない、と言う奴がいるか。難しさは距離からやってくるのであって、使うクラブでは断じてない。普通のコースではプロのフィールドのようなことは起こらないのだ。

しかしドライヴァーの距離は決定的である。ドライヴァーの距離が違った瞬間から、ゴルフは確実にハンディ戦の様相を呈する。と言うわけで、飛距離最優先のドライヴァー専用スイングというものが無い方がおかしい。

正確に打つためのショットとは世界が違うのだから、なぜゴルファーはショットスイングをドライヴスイングに流用したり、下手くそは逆にドライヴスイングをショットスイングに流用したりするのだろうか。

ドライヴとショットにまったく別のスイングを用いるゴルファーを未だかつて見たことはない。誰でも幾分違う振り方はするが、本質的には同じだ。それを正しいと思っているようでは前に進まない。

しかしまだ誰もはっきりと試みてはいない。心の中で、もっと飛ばそうとは思うし、そういうスイングは探しただろうが、ショットとドライヴに全く違うスイングを用いてもいいのだという論理が存在しなかったから、飛距離を出すための努力が、自分本来のスイングとかけ離れていくうちに不安になって、やめてしまう。

経費節減にも一利はある。少ない練習時間との兼ね合いで、場合によっては一つのスイングで済ます方がいいスコアを約束することは十分考えうる。あるいはやはりスイングが一つでないとまずい、ということが証明される可能性もわずかながら残されている。

しかしとにかくやってみないことには分からない。すべての先入観に背いて。筆者

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