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飛距離の出し方はわかっているし、ステディなスイングもわかっている。問題は両方を融合した、勝てるスイングをどうやって見つけるかだ。パワーがあればあるほど、勝つための方程式はシンプルになり、解きやすい形になるだろうが、解けるかどうかはわからない。逆にどんなに複雑であっても、方程式さえ立てられたならば、その式を解くゴルファーがいないとは限らない。

運動神経の発達したスポーツマンが、生まれて初めてクラブを振ったときには、きっとグリップはこう握り、手首はこう使い、体はこう動かすだろうと思える一連の方法がある。それだけで頂点まで登りつめたゴルファーは存在する。彼らのゴルフはパワーと鋭い感覚に依存するだろう。

一方、どのようなグリップで、どのような手首の使い方で、どのようなスイングをするのがいいのかと考えるゴルファーがいる。しかし、選び抜かれた最高のスイングを身にまとい、世界を制したゴルファーは存在しない。みんな悩んで大きくなってしまううちに、それなりのスイングにたどり着いたに過ぎない。

統一理論を作り出すのは容易なことではない。ニュートンは見極めが甘かったのに、彼の理論で世界はほとんど困らない。アインシュタインも時代を100年ほど飛ばしたに過ぎないのに、今のところ彼の言う通りに世界は動く。間違っていながらそれぞれのレヴェルで適当に当たっている理論を、私たちは状況に応じて使い分けている。

しかしそれら全てが実は正しいという、そういう立場に立てる理論があれば、それが統一理論である。プロのスイングは様々だが、それぞれのスイングが「全く同じ理由」でいいスイングだと言える理論があるならば、それは統一理論だが、今のところは、「勝てるから」という理由以外に納得のいく理由は見あたらない。

ゴルフスイングは正確さを極めればブラックホールに落ちる。かといって飛距離を極めようとしてもやはり無限のエントロピーの世界に消え去ってしまう。どちらも同じことだが、ゴルフにならない。美しいスイングは幾らもあるが、それを理想のスイングと言う人がある。それは違うだろう。

美しいから理想というのは歪んだ見方である。理想的なスイングが美しく見えるのであって、逆は真でない。そして美しく見えるかどうかは見る人の目の美しさにかかっている。つまり、見る目の方が問題になる。私の目で見て美しいスイングは、果たして理想のスイングなのだろうか。

ノータ・ビゲイのスイングはトム・ワイスコフのスイングにひけを取らないほど美しい。杉原輝男のスイングはベン・クレンショウよりは確実に美しい。私の審美眼は普通ではない。ヴィジェイ・シンのスイングを美しいと思わないのに、橘田規さんのスイングは美しかったと思う。

腰痛で、練習場には行けない。せめて年に何回かゴルフをしたいと、ボールを打たないでじっと我慢していたら、体が弱って左足に座骨神経痛が出た。到底コースには出られないが、歯を食いしばって素振りをする日々。私の素振りは練習ではない。

練習すべきスイングを探すために、思いついたらクラブを振る。思いつくためには部屋の中でクラブを握り続ける。料理人が料理をしながら味見をするようなものだ。出せる料理はまだ出来ない。40年も、ただ味見をする日々。うーん、筆者

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