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走り高跳びと言えばヴェリーロールか正面飛びしか習わなかったが、誰が発明したのか今は背面飛びが主流になっている。これを発明した奴は偉い。ノーベル賞が出ないのが残念なくらいだ。せめて特許がおりてもよかった。

背面飛びを見ているとついゴルフのスイングを連想する。地面を蹴ってバーに背を向けながら飛び上がった瞬間の選手の気分が、バックスイングのトップで一瞬感じられる安堵感のようなものとイメージが重なる。

トップオブスイングでつかの間起こるこの開放感は、体が必要十分に回っていることの証明だろう。これが無いときにナイスショットは起こらない。

しかしゴルフスイングも走り高飛びもここで終わりではない。スイングはこれからボールを打ちに行くわけだし、走り高飛びも宙に浮いた後いよいよ舞うのである。それにしてもなお、宙に浮いた瞬間とトップオブスイングの瞬間の、極度の筋肉の緊張に対照的な不思議な心の安堵感は、あれは一体何なのだろうか。

ゴルファーがスライスからスタートしなければならない理由の多くは道具のせいだが、二つはゴルファー自身の責任である。目標に対して正確に立てないという錯覚が一つと、もう一つはスイングの位相がずれることだ。道具の歪みがこれを決定的にする。錯覚とは事実誤認であってみれば、わかってしまえば補正が効く。

ゴルフは左腕のヒジで「ヒジ鉄」を食らわすスポーツである。右手でアッパーカットを食らわすスポーツでない。ただそれだけのことがわかれば、歪んだゴルフクラブでもドローからスタートすることはできる。ヒジ鉄の当たる先は普通うしろにある、背中側に的があるのだ。ところがボールは目の前に置かれている。

だからボールにヒジ鉄を食らわすためには、自分の方が体を回してボールを背中側に置かなければならない。しかも、ヒジ鉄を打ち終わってなお、ヒジ鉄を喰った相手は自分の背中側にいる。

ここで背面飛びのイメージが生まれた。つまり、ボールを打った瞬間、背中はしばらくボールを見ていることになる。ということは、初めに相当体を回しておくか、さもなければヒジ鉄は回転運動を使わないで行わなければつじつまが合わない。

背の高い細身の男性はドローからスタートする希な人種である。スイングに位相のズレがなければ背の高い人のアップライトスイングも背の低い人のフラットスイングもボールは等しく真っ直ぐに飛ぶ。

位相のズレがあるとき、スイングがアップライトだと、引っ張る力は上に向くからヘッドが返る力をあまり邪魔しないが、その代わりにボールがドロップする。ゴルフでドロップとは左に引っかけることと同じだ。

フラットスイングで位相がずれると引っ張る力は左後方に向く。それがヘッドの返りを邪魔する向きに働くからスライスに苦しむが、ボールは確実に舞い上がる。位相のズレが無くなると、アップライトスイングではボールが高くなりすぎ、フラットスイングでは引っかかってホックになる。

位相に関する錯覚の大小はパワーの出し方に依存する。パワーのない女性の初心者はドローからスタートするが、スポーツウーマンはやはりスライスからスタートする。力の出し方を知っていることが仇(アダ)になるわけだ。

右利きのゴルファーが左利きのクラブを借りてサウスポーで打つと引っかけのドローになる。パワーの出し方がわからないから位相がズレないのだ。

こうなるとゴルフは背面飛びである。背中でボールを打つのだ。おなかでぶちかますのではない。左ヒジでボールを打つのに正面を向くわけには行かないだろう。

ところがゴルファーは右手でパンチしようとしてつい正面を向いてしまう。右手のパンチでゴルフボールを打てると思うのがそもそも錯覚なのだが、なかなかわからないものらしい。

「トップで少し間を持て」という金言の種明かしをしてしまうと、何だか御利益が半減するようで嫌だが、それは背面飛びのスイングを教えるための金言と言えるのである。トップで少し休むことによって、ゴルファーはまるで背中でボールを打つような不思議な感覚を体験する。実際には左肩のうしろ、背中側にある筋肉だけでボールを打つ。

トップで少し間を持つと、ダウンスイングは腰から動き出しそうに想像するだろうが、実はそうならない。逆に一瞬腕から動き始める。それでは正しいスイングではないと思うなかれ。金言の金言たる由縁は実に奥が深い。我ら凡人の想像を遥かに超えて奥深い。

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