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スイングを作るのはライ角である。もちろん本来ならばスイングがライ角を決定する権利を有している。しかし自分のゴルフスイングを、一度もクラブを持たずに決定できるほどの才能に恵まれた人間がいるとは考えにくい。したがって最初にスイングを教え、作らせるのはゴルフクラブである。

こうしてクラブシャフトの長さとライ角とクラブバランスがスイングを作るのだが、シャフトの長さはクラブによって同じではなく、子供の成長期にゴルフを始めれば、いよいよもってスイングを決める最大の要素にはなりにくい。シャフトの長さはスイングにおける力の出し方を決定する要素になるに過ぎない。バランスはスイングを決定する際の選択肢を広げたり、逆に狭めたりするが、やはりライ角ほど決定的ではない。

どうやってボールを捕まえようか、という言わばスイングの核心は、ライ角が握っている。40年近く自分のスイングに合ったクラブを作ろうとし続けて、アイアンのネックは何度も折れた。ライ角を変えることが多かったからだ。シャフトは金属疲労で折れない限り変える必要はなかったし、ロフトを変える必要に迫られるほどの腕前でもない。

他にはアイアンヘッドの先の三角にとがった部分を斜めにカットすることが何度かあっただけで、改造の主体は常にライ角に尽きた。スイングを変えればライ角を変えねばならない。それは単にフラットに打つとかアップライトに振るとか言うような通り一遍の話ではない。

時に何時間もクラブを持ち替え続けて、握ってアドレスしてみる。スイングもなくボールもない部屋の中で、そういう作業をずっと続ける。全てはそのときのスイングイメージに合ったライ角を見つけるためだ。

クラブによって奇妙な違い、差が出ることも少なくない。出来上がったアイアンセットのライ角の変化が番手ごとに滑らかに変化していかないことがある。5番アイアンより7番の方をよりフラットなライ角にしたいと感じるようなことが起こる。

結局その原因がアイアンフェイスのわずかな輝きの差、磨かれたフェイスとくすんだフェイスの光の反射の違いだったというようなこともしばしばだった。それがわかるのに何週間もクラブを握ってはアドレスし、クラブを代えてまた同じことを繰り返す。ライ角がスイングの核心だという確信は、そういう経験によっている。

ライ角の恐ろしさは、ライ角が不適当な場合に、平らなライから打ってもつま先上がりのライから打ったようなボールが出るとか、その逆が起こるというような常識的なことだけではない。極端な話、そんなことはわかっていればどうとでも調整が出来る。ライ角の本質はもっともっと深刻にゴルフスイングを牛耳っている。その話をしよう。

目をつぶって使い慣れた5番アイアンを持ったとする。そして軽く素振りをしてみる。目をつぶったまましばらく待ってもらう。その間に、私がその5番アイアンのライ角を5度ほど立てて、返す。それを握った瞬間、それが自分が使い慣れた5番ではないことがわかる。重さもグリップもそのままだ。バランスだけがわずかに変わる。しかし上手なゴルファーはわかるのである。

今度はライ角を元の角度から逆に5度ほどフラットにしたとする。目をつぶったままそのクラブを握ると、やはり前のクラブとは違うことに気付く。自分のクラブとも、ライを立てたクラブとも違うクラブだとわかる。目を開けない限り、それぞれのクラブで実際にボールが打てるかどうかまでは多分わからないだろう。

しかしこのときすでに素振りは微妙に変化している。そのことに気付くかどうかは人によるが、誰でも違和感はある。なぜだろうか。バランスが原因ではない。

これは私が自分のスイングに合わせようとクラブを改造する際、アイアンの先にあるとがった部分を切り取りたいという衝動に駆られることと深い関係がある。ウッドのフェイスを正面から見れば、ネックを別にすればほぼ左右対称である。ところがアイアンは先に行くほど面積が大きくなる。つまり先が重い。

無論わざとそう作られているのだから、事情はある。今その話には言及しない。それはクラブに詳しい人なら誰でも知っていることだし、それをいい悪いという問題にすれば、ウッドが正しいならアイアンは間違っているというような話になり、それを常識という剣を振りかざすこと無しに理論的に説明できるクラブ職人がいたならば、日本人のマスターズチャンプはとうの昔に生まれていたかも知れないのだ。

(実を言うと、私はアイアンの先のとがった部分をカットしたようなヘッドを見たことがある。輸入物は昔からあるが、それは確かに国産のものだったから、そういう認識を持ったクラブ職人が日本に全くいないわけではないらしい。ただそれを買ってみよう、使ってやろうという高い見識を持ったゴルファーが残念ながら日本にいない。)

ライ角を立てれば立てるほど、仮に90度にしたとすると、ヘッドの先にある重みはグリップする手に最大の意志表示をする。ライ角をフラットにしていくうちに、それを感じなくなる。当然重さ自体は全く変わらないのだが、クラブがねじれようとする力が変わる。手は敏感にそれを感じる。

この力はバックスイングの方法に甚だしい制限を付ける。圧倒的パワーを持ったゴルファーは気付かないが、化け物のような腕っ節がない限り、クラブフェイスを開かないままバックスイングしたいゴルファー達を拒否する。クラブフェイスをやや開いてアドレスするとバックスイングが急にスムースになるのは、ちょうどライ角をフラットにしたのと同じように、ヘッドの先の重みのいたずらが小さくなるからだ。

このヘッドの先の重みのために、つまりは大きなトルクのせいで、ウッドではピタリと決まるアドレスがアイアンでは決まらないという事態が起こる。逆にこの制約に従順なゴルファー達は、アドレスからいきなりフェイスを開きながらバックスイングをするしかないと諦めてやっているので、つま先の軽いウッドはかえってバックスイングのきっかけが決まらない、という不満を漏らす。

アイアンヘッドのデザインは明らかに時代遅れである。時代は簡単な方へ動く。誰でも出来る方に傾く。無論それでも実力の差というものは永遠に存在するわけだが、質が変わるだろう。トルクを手の内に入れる熟練のわざが無用になる代わりに、正確に飛ばすというゴルフの本質にダイレクトに専念することこそが、新たな熟練のわざと呼ばれる日が来る。ライ角はフラットに、せめて身の程をわきまえた角度に。

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