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キャスト:樋口久子、ジム・フューリック、岡本綾子、トム・ワイスコフ

子供の頃にゴルフゲームというのがあって、それは今のようなヴァーチャルな画面を相手にするゲームと違って、リアルな実在を動かすものだった。そういえば野球盤という野球ゲームも、やはり実在のボールを実在のバットで打つ。

ゴルフゲームは人形がボールを打つのだが、この人形の仕掛けは、太めの注射器を地面に立てかけたようになっていた。注射器が人間の形になっている。地面に注射するような格好で、人差し指と中指で注射器を支え、親指で頭を押すと、胴体に付いているゴルフクラブが動く。


バックスイングしてダウンスイングする。小さなボールにクラブをアドレスして、目標を定め、注射器をぐっと押し込む。クラブが動いてボールを打つわけだ。この人形の仕掛けは子供にも作れそうなくらいシンプルである。

ハンマー投げでハンマーをぐるぐる回すと、空間に一枚の円盤が現れる。ハンマーにはしなやかな紐(ひも)が付いているからだ。ハンマーは力学の法則に従って美しい円盤を描く。ゴルフスイングにスイングプレーンという考え方を導入した人たちがある。まるで物理学者のように。

ゴルフクラブを滑らかに、力学的なロスなしに振りたいなら、スイングプレーンの中にスイングを閉じこめる。そうするとスイングは一見美しく見えるだろう。メシエの31番、ご存じアンドロメダ星雲は私たちの銀河系と同じ渦巻き星雲である。その美しさは物理学の法則が作りだす美しさに他ならない。

トム・ワイスコフはこの世で最も美しいスイングを持つ男と言われたゴルファーである。なぜ、物理学の法則通りに作られた図形を、私たちが美しいと感じるのか、それはまだ正確にはわかっていない。しかしワイスコフのスイングはM-31よりも美しかった。それほどつぶれた楕円ではなかったからだ。

そして彼は突然その美しいスイングを捨て、ゴルフ界から去っていった。物理の法則を極めてしまった男は、もはやその先に求めるべき何物も持てなかったのだろうか。それとも、それが物理の法則なのだろうか。それは誰にもわからない。

スイングプレーンにスイングを閉じこめる、と書いたが、スイングプレーンが自然なものならば、なぜわざわざ閉じこめなければならないのだろうか。自然にそこへ収まるはずではないのか、ハンマー投げと同じように。ここにスイングプレーン型スイングのウソがある。クソでもいい。

我田引水と言うけれど、科学の言葉を、自分の利益のために安易に使うのは、怪しげな特効薬を売りつける詐欺師の常套手段だが、スイングプレーンという考え方は正しい理論であるけれども、決して唯一無二のスイング理論ではない。まあこれでもいいでしょ、というくらいのものである。

なぜスイングをスイングプレーンに納めるために「努力」が必要なのかというと、当たり前の話だが、それが必ずしもゴルファーにとって、あるいは人間にとって自然でないからだ。私たちの関節、手首や肘(ひじ)はそれなりにしなやかに動くし動かせるように出来ている。つまりハンマー投げに似た動作は可能だ。それなのになぜ、ゴルファーはスイングプレーンを外れてしまうのか、あるいは外れようとするのか。

物理の理論は、非現実的か現実的かを区別しない。物理学的に考えて、スイングプレーン型よりもおいしいスイングは幾らでもある。たとえばアドレスでボールに対して構えをした人形を作る。この人形を新幹線「のぞみ」の側面に取り付け、「のぞみ」がどこかその最高速度を出す地点の線路脇にゴルフボールを置く。

走ってきた「のぞみ」というかゴルフ人形がボールを打つ。「のぞみ」の速度が時速240キロあれば、そのボールはパープレーをするのに十分な飛距離と、たぐいまれな正確さをもって飛んでいくだろう。

ゴルファーが望んでいるのは物理的に自然なスイングではなく、アドレスの格好そのままにボールを打てるスイングなのである。あるいはその人形をターンテーブルの上に載せて、テーブルを高速で回転させてもいい。こちらの方がよりリアルかも知れない。

そこに、スイングプレーン型スイングが正しいとは言い切れない事情があり、誰もが自然にそうならない、なれない理由がある。パットで手首を曲げたり伸ばしたりしたがらないのも、ゴルファーがスイングの自然さよりアドレスの形を崩さないことに価値を見いだすからに他ならない。

神主がお祓(はら)いの折りに、はたきのような、吹き流しの付いた棒を振り回す。ゴルフ好きの神主はどう振るかわからないが、普通はゴルフスイングとやや違う振り方をする。スイングプレーン型に比べて手首のコックが少ない。この種のスイングは「のぞみ」に張り付くゴルフ人形に近付いているが、スイングプレーン型からは外れていく。

アドレスをした形のまま、手首をヒジからグリップの先までガムテープでぐるぐる巻きに固定すると、その時点でスイングプレーン型スイングは実現不可能になる。逆に神主型は外部から固定される分スイングが楽になる。

ゴルファーの目指すスイングは、まさにスイングプレーン型と神主型の間のどこかにある。それは簡単に、しかも正確にアドレスの形に戻ることが出来て、その上パワーの無駄がなくて距離が出せるスイングである。

ゴルファーがわざわざスイングプレーンを意識しなければならないのは、クラブの動きが、正確にアドレスに戻そうとする意識が強ければ強いほど神主型に近づく傾向があって、その分だけシャフトがスイングプレーンから飛び出してしまうからであるが、それではなぜ初めから神主型を試みるゴルファーがいないのかというと、それではとてもボールが飛ばせないと思うからである。

神主型には時間軸がない。何時アドレスに戻っても、クラブフェイスはピタリと目標を向いている。ところがスイングプレーン型には時間軸があって、ヘッドが必ずインパクトゾーンを通過するとしても、その時のフェイスの向きはタイミングに左右される。ほぼ全てのゴルファーが、このタイミングを正確に取ろうと腐心することになり、それがゴルフスイングというものだ、と思いこまされる。

数日前の土曜日だったか日曜か、テレビのチャンネルを回していたら、女子プロトーナメントの中継画面が出た。私は女子プロゴルフを滅多に見ないが、ちょうどそこには鞍馬天狗の子分というか、一心太助というか、そんな感じのボーイッシュなプロがいて、たぶん9番アイアンかウェッジでグリーンを狙っていた。

何気なく見ていた。そのショットはいいショットではなかったらしいが、そのスイングはかなり秀逸(しゅういつ)だった。距離を必要としなければ、女子プロにもこんなおしゃれなスイングをする人がいるんだ、と驚いた。

女子プロのスイングは例外なくスイングプレーン型である。体がしなやかで無理なく渦巻き星雲を形作れるし、飛距離が必要だから、自然とそうなるのだ。しかしその時見たスイングは、神主型を標榜(ひょうぼう)するような、そんなスイングに見えた。

私は以前、樋口久子さんのフラミンゴ打法は歴史に残ると書いたが、詳細は述べていない。フラミンゴ打法は左右のスウェイを大胆に使う。野茂投手の投球フォームをゴルフスイングにしたようなものだから、野茂投手のフォームに驚くのと同じように、樋口プロのスイングに驚く。

大胆に、目一杯横方向のスウェイを使うのだから、物知り顔でぶつくさ言う知ったかぶりの馬鹿野郎解説者も沢山いたが、何しろ強ければ勝ちだ。強いプロになってくれて本当に良かった。さもなければあんな素晴らしいスイングには、決してお目にかかれなかっただろう。

しかしながら、チャコ樋口が勝ちまくった理由は、その大きく揺れる美しいボディワークのせいではない。日本人女性として、初めてアメリカのメイジャートーナメントで優勝するという歴史的快挙を成し遂げるには、そんなささやかな理由だけでは足りなかったはずだ。

実は、その大胆なフォームは、どうしてもそうしなければならない深刻な事情によって生み出されたものだったのだ。彼女のスイングの核心は神主打法である。出来るだけ手首を動かさず、それでいてなお必要な飛距離を出すためには幾つか方法があるが、その一つを樋口プロは発見した。

神主がお祓いで振り回すはたきを、ゴルフボールを打てるだけもっと大きく動かすには、手首を固定している以上、体を大きく動かすしかないのだが、それでもダウンスイングの時の強烈なパワーに手首が負けて折れてしまわないような、特別な道筋を必要とする。その一つが、樋口プロのフラミンゴ打法だった。彼女はチャコ人形をターンテーブルに載せて回すことに成功したのだ。

ジム・フューリックというプロゴルファーがいる。彼のスイングは変則だと言われるが、あるとき彼のスイングを後方から見ていたら、ふとチャコ樋口のフラミンゴ打法を思い出したことがある。スイング自体は違う。見る目がなければ全く違うのだが、やっていることは同じだと気付いた。


樋口プロが開拓した道筋をたどって、とうとうアメリカの賞金女王という偉大な功績を残した岡本綾子プロのスイングは、樋口プロとは対照的なスイングである。絵に描いたようなスイングプレーン型スイングは、強靱で繊細な手首によって支えられている。

岡本プロの優れた運動神経とリストワークは、樋口プロのそれを遙かにしのぐだろうと思う。それこそ世界一なのだ。それに対して樋口プロは、誰も見つけられなかったスイングを見つけだしたことによって、トーナメントに勝ち続けた。リストワークの逆の、リストロックを使って。


私たちゴルファーは、正確であるという条件と、飛距離という条件の間でさまよっている。それは神主型スイングと、スイングプレーン型スイングの間でさまようことと同値である。


運動神経に恵まれ、繊細な感覚を持っているならば、迷わずスイングプレーン型でスイングを作り、インパクトという微妙な世界を克服する努力にゴルフ人生を賭けるのがいい。


もしもパワーに恵まれてはいるが、運動神経と繊細さに欠けると思うならば、あるいは自分の人生では、納得のいくだけの練習時間を作りきれないと思うならば、自分なりの神主打法を見つける努力をする方を勧める。


変則と言われるスイングは、スイングプレーン型だけしか知らない愚かな馬鹿者が作り出した幻である。悪いスイングがあっても、それは変則とは言われない。変則というのはスイングプレーン型から見た神主型スイングのことに過ぎない。こちらから見れば、向こうの方が変則である。

先ほど書いたとおり、パットで手首を動かそうとするゴルファーはまれだ。誰でも手首を固定する。スポーツの定義は「パワーと技術の糾(あざな)える糸」であるが、一方でスポーツの歴史の流れは、たとえば陸上競技で、10キロの選手がそのスピードでマラソンを走り切れるか、という形で進化する。逆はない。

同様に、パットで動かさない手首も、飛距離を必要とするショットではどうしても使わなければならない、と考えられているが、動かさないことがショットの正確さにおいて決定的に効果的である以上、リストロックは、最初はウェッジショットから始まって、その後アイアン全般で、そして最後にはドライヴァーにもその技術が投入される、と考えるのが妥当だ。

エンドスウィープもサッカーボーイも短距離血統を受け継ぐはずの種牡馬である。しかしその産駒は少なくとも中距離まで完璧にこなしている。パットにおけるリストロックという定石は、明日にでもウェッジショットに通用するだろう。ヒゴカオリという女子プロは、それを試していたのだろうか。


リストを使うリアルな人形を作ることは子供には不可能だし、専門家でも相当苦労するはずだ。ゴルフゲームの人形は言わば神主型である。

これまで神主型スイングは実現不可能で、スイングプレーン型スイングは簡単に実現できるスイングだとゴルファーは信じてきたが、人形作りの難易度は、そのままスイング作りの困難さに一致する。つまり、常識を覆(くつがえ)して、神主型の方が桁違いに簡単だということだ。

ロボットを作るときに、何が難しいかはやってみないとわからない。難しそうなものが案外簡単であったり、逆に何でもないと思えたところが恐ろしく難しかったりする。

惑星の軌道を計算するのに必要なコンピュータが家一軒分の大きさだった頃、ロボットを歩かせるためには、霞ヶ関ビルほどの大きさのコンピュータを必要としただろう。たった一つの関節を使うことで、スイングは桁違いに難しくなる。それがどのくらいの桁違いか、ゴルファーはまだ気付いていない。 筆者

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