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私は腰痛のために練習できないゴルファーだが、練習好きである。世の中には練習しない主義のゴルファーがいて、練習場へは行かない。しかしかと言って彼らが練習嫌いなわけでもないらしい。私は何となくその気分が理解できる。ゴルフはそこまで歪んだスポーツであり、そしてまた難しいスポーツになっているということだ。

普通スポーツをやるというのは練習することとほとんど同値である。そのスポーツが好きだという意味は、見るだけが好きという場合を除けば練習が好きだということだが、ゴルフの場合はちょっと違う。

挟み将棋はルールが単純で誰でもすぐにゲームが出来る。挟み将棋の研究家はそれほど多くないだろうし、本将棋のように定石本を片手に研究する人はまれだ。

ビリヤードをやったことがある人は少なくないだろうが、ゲーム以外に練習のため通い詰める人は少ない。ピンポンもボーリングも誰もが一度はやっているスポーツだが、練習のため卓球場やボーリング場へ通う人は特別である。

そういう意味で、練習場に行かないゴルファーは奇妙でも不思議でもないはずなのだが、でもちょっと、変な感じがするのはなぜか。

「ゴルファーに愛を!」の冒頭で述べているように、ゴルフのルールは歪んでいる。道具もルールの内だから、その道具が当たり前でなければ、そのスポーツも当たり前ではいられなくなり、ゴルファーも当たり前でなくなる。

ノープラクティスポリシーのゴルファーはそれを当たり前に、つまりゴルフを当たり前のスポーツとして受け止めようと努力する知的な人間の群れなのである。

したがってノープラクティスポリシーのゴルファーはゴルフの健全化に貢献している。歪んだ道具を否定せず、無理矢理当たり前のゲームとして楽しもうとする勇士である。ゴルフというスポーツだけに特有の、知的戦士たちに暖かい拍手を送ろう。

そして何時の日か、スワンネックで温泉ゴルフが楽しめる日がやってくることを祈ろう。もはやルールを変える必要はない。ゴルフと呼ばれなくても気にしないでいられるならば、ゴルフ場はプレーを禁じないのだから、スワンネックでゴルフ場を楽しめばいい。そういう豊かな発想が日本人には欠けすぎている。

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