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小学校の体育の成績が良かった人であれば、美しいスイングは簡単に作れる。そのまま間違ってトーナメントプロになってしまった人も少なくないだろう。しかし美しいスイングで勝てるのは特別な才能を持った一握りでしかない。

トーナメントで勝っているプロのスイングを一人一人よく見ると、美しいスイングというよりも個性的なスイングが多いことに気付く。無論、審美眼が確かならば、それぞれとても美しいのだが、シンプルな美しさという点ではレッスンプロのスイングの方が美しいし、基本を教える技術も高いはずだ。

美しいスイングは無駄がなく、飛距離もコントロールもそれなりに出せる。しかし、それだけで勝てるのはアマチュア時代だけだ。200メートル先の標的の、1メートル以内にボールを落とせる自信は、美しいスイングからは生まれない。

200メートル先の標的に当てる自信があったとしても、常に当たるわけではない。しかしボールを打つときに当てられると思えるだけ立派なゴルフ技術を持っていなければ、トーナメントでは勝てない。美しいスイングだというだけでは、そういった高次元の自信が生まれるはずがない。

だからトーナメントプロのスイングには個性があるのだ。一人一人が、200メートル先の旗にボールをぶつけられる自信が持てるようなスイングを独自に開発し、それを身につけるべく練習したのだろう。ただ何となく狙って打っているだけでは勝てない。

美しいスイングには、その美しさを崩せないという欠陥がある。それは真っ白なキャンバスと新品の絵の具を持っていて、絵を描きはじめられない気分に似ている。真っ白に輝くキャンバスに、色を塗ったら汚くなるかも知れない。しかし塗らなければ絵は描けない。

絵が美しく描けなければ、塗らない方がましだ。それでも絵の具を塗り始めるのには勇気がいる。目的がいる。何となくうまく打てるだけでいいなら、誰もシンプルで美しいスイングに手を入れようとは思わないだろう。

姿形(すがたかたち)の美しいアンプはいい音がする、と言った人がある。ところが、その昔ヒューレット・パッカードの掃引発信器をバラしたとき、部品のリード線の切れ端が何本かぶら下がっているのを見たことがある。ニッパーで切ってしまいたいようなものだったが、それは器械の校正だった。

千円で買えるのと同じ仕様の器械が、五百万円する、その差がぶら下がっていたリード線の切れ端の意味であった。それを美しいと思えなければ、真実には迫れないし、正確な測定器にはならない。

友利プロはトーナメントプロとして強豪であるが、その戦績を知らなければ、誰もレッスンを受けようとは思わないだろう。トーナメントプロのスイングにはそういうリード線の切れ端が必ずある。私はそれに敬意を表する。筆者

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