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ドローとスライスは打てる。真っ直ぐも打てる。しかし真っ直ぐを打つ決定的な理論がない。手首の微妙なタイミングでドローとスライスを打ちわけるくらいなことは何とか許せるが、真っ直ぐをそんな微妙な話で済ませるわけにはいかない。

いつだったかテレヴィで丸ちゃんが、スタイミーを避けてホックを打つ方法を解説していたが、それは方法として機械的で明快、如何にも私好みなのだが、残念ながらそれを実行して明快な答えを得るには練習が必要で、なぜ練習が必要なのかを説明すると、明快なはずの方法が実は高度に繊細な技術の固まりだという話になってしまう。

丸ちゃんの方法を紹介すると、フェアウェイは左に極端に曲がっていてグリーンは左前方の林の向こうにあって見えない。林の上は越せない。よくある話だ。そこで左の林の右端をかすめるように正しくスタンスを取って木をめがけて打つ。ただしこのときクラブフェイスは正確にグリーンの旗に向けておく。

つまりシャットにしたフェイスを普段のスクエアフェイスと思いこんで普段通りにグリップするわけだ。こういうセットアップで打ったボールは当然スイングした方向へ飛び出し、林の右側を通過したところでぎゅーんとホックしてグリーンに乗る。実に簡潔で痛快な方法だ。ところが実際には練習無しでは成功しない。第一にゴルファーの心理がこのようなアドレスでは普段のスイングをさせてくれない。

第二にボールが曲がり始める位置を正確にイメージするにはかなりの練習量を要する。第三に、これが一番問題なのだが、クラブヘッドをシャットにしたり開いたりするとヘッド固有のトルクが変わる。そのために手に感じるフェイスの向きが変わる。

ゴルファーはいつもただ打っているわけではない。打ちながらも手から伝わるフェイスの向きの情報を微妙にスイングへフィードバックしている。特にコントロールショットではそうだ。この情報が、フェイスの向きを変えたときにスイングを混乱させる。これに慣れるには相当の練習を要する。

かくしてこの単純明快な方法は、実のところ丸ちゃんのような国宝級の職人技ということになるのである。

私はこの頃考えている。アドレスに戻るという当たり前の話は、実は科学的に、あるいは人間工学的に不可能なことなのではないか、と。始まりはもちろん初心者のスライスである。なぜ初心者が必ずスライスしなければいけないのか。それはおかしいのではないか。道具だけの話ではないかもしれない、と思い始めた。

私は今ドローヒッターだが、ドローを打つつもりはない。このスイングでストレイトが出ると信じて打っている。私が注目したのがその点だ。初心者はスライスを打つつもりで打ってはいない。ドローボールを持ち球にしているプロもドローを打つつもりで打っているわけではない。それでドローが出ると知っているに過ぎない。

プロも初心者もそのスイングでストレイトを打てると信じて打っている。ドロー打ちのプロは必要があればいつでもスライスを打つだろう。彼らがドローを打っているのはわざとではない。それでストレイトが出るはずだと信じられる、理論的で確実な、信頼に足るスイングをしている。

ところがそのスイングではドローしか出ない。なぜかわからない。けれどもそれは信じられるスイングなのだから、そのドローは安定している。それを使ってゴルフをしているだけだ。初心者のスライスも実は安定している。決まった正確な曲がりを持っている。

しかし初心者は自分のスライスについて初心者だという引け目を感じる。それで信じるスイングを諦(あきら)めてストレイトやドローが出るスイングをしようとする。適当に工夫すれば、初心者もドローが打てるようになる。ドロー打ちのプロは信じるスイングでゴルフをする。たとえそれがイメージに反してドローしていても。

つまり、この世の中にこれでストレイトが出なければおかしい、と感じられるスイングで本当にストレイトを打っているゴルファーは皆無で、ただこうすればストレイトボールになる、と知っているスイングを使ってストレイトボールを打っているに過ぎない。

信じられる基本的なスイングを軽くモディファイすることによってストレイトボールを打つ、という職人芸の世界でしかストレイトボールは存在しない。全てのゴルファーが言わば加減してストレイトボールを打っているのではないか、という疑問が生まれた。

フェード打ちはその理論が確定している。これでこういうフェードボールが出ると信じられるスイングを使って、全くその通りのフェードを打つことが出来る。しかし彼らもストレイトを打つ理論を持ってはいない。

どちらかと言えばドローボールを持ち球にしているプロの方がストレイトボールに強い執着心を持っているだろう。彼らは何時かストレイトを打つ理論を生み出したいと願っている求道の士である。

ストレイトボールは今の方法では理論的に永遠に存在しない。「アドレス教の迷信」で書いたとおり、それはゼロと同じことだからである。ご存じのように限りなくゼロに近づけるときのゼロは、しかし決してゼロにはならない。これがフェード打ちが夢見るゼロであるが、彼らはそれが真のゼロにならないことを承知している。

一方ドロー打ちは真のゼロを求めてドローを打ち続けている。そのやり方ではストレイトは一瞬の出来事であり、理論ではなく経験と偶然に頼るしかない。それでも彼らはストレイトを夢見てドローを打ち続ける戦士だ。

ストレイトを打つ理論は今のところない。アドレスに戻るという話は間違っている。アドレスは静止した状態だがインパクトは静止していない。戻るも何も、元々異質の状態なのだから戻りようがない。

理論的なストレイトを発見する可能性がある新しいアプローチのためには、まずアドレスに戻るというナンセンスなコンセプトを放棄しなければならない。統計的事実から定理を見いだすのは全く数学的ではないが、しかし物理では統計的な事実が法則を発見する手がかりになる。

私は今、アドレスに戻るという当たり前の考えが不可能だという仮説を証明し、それを定理にしたいと思っている。アドレスに戻ることは人間が持っている自然の感覚では出来ない。スイングの中に多くの不当な誤差が含まれていて、それを修正する作業無しにはストレイトボールはない。

つまりかなりの量の不明確な熟練無しに思った通りのボールは生まれない。上手なゴルファーやプロはアドレスに戻っているのではなく、アドレスを見つけ直している。あるいはインパクトを探し出している。こう考えれば、アドレスに戻ろうとして永遠の不可能に落ち込むことはなくなる。

戻ることが不可能だと証明できれば、ゴルファーはその呪縛(じゅばく)から解放され、バックスイングはただの助走であって、インパクトはバックスイングやアドレスの形とは無関係に、打とうとする本能がダウンスイングから探し出すものである、と確信できる。 

ストレイトボールの理論はことによるとこちらのフィールドから発見されるのではないかと、今は思っている。無論好ましいバックスイングやアドレスは正しいインパクトを探す作業を易しくしてくれる。しかしあくまでインパクトは見つけだすものであり、戻るものではない。

ゴルファーがこういう認識に到達するために、私はゴルフの不完全性定理を証明しなければならない。それが成功してゴルフスイングの不完全性定理が確立すれば、ゴルフスイングの定説は一変するだろう。

もう誰もアドレスに戻ろうと苦しむ必要はない。アドレスに戻るのではなく、真っ直ぐ打てるダウンスイングの理論を見つければいい。

 

不完全性定理、狂い死にした天才ゲーデルを偲(しの)んで。筆者

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