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私のクリークは現在のところ3番アイアンと同じ長さになっている(107センチ=42インチ)。昔使っていたブラッシーと同じ長さだ。長さは同じでも振ったときの重さが違う。3番アイアンはカーボンシャフトだというのに400グラムもある。しかしクリークも全く同じ400グラムだ。
バランスはどちらもD-0で変わらない。それでも圧倒的にアイアンの方が重い。なぜだろうか。それは起きている子供をおんぶするのと眠っている子供をおんぶするのと、同じ子供でも重さが違うのに似ている。

子供が寝ているとき、子供の体重はトルクを持つ。動かせばそこに慣性モーメントが出る。しかし子供が起きていれば子供は微妙に重心を動かして自分がおんぶされやすい位置に体を補正する。それは同時におんぶする側にも楽な姿勢になる。

自転車の二人乗りをするとき、自転車に乗ったことのない、乗れない人をうしろに乗せると危ないのは誰でも経験している。バランスを取ってくれないのだ。体重20キロの子供と重さ20キロの荷物と、どちらを乗せる方が楽か、それは子供次第だ。

自転車に乗れる子供ならばその子供をうしろにのせる方が楽だが、そうでなければ荷物の方が楽だろう。ゴルフクラブ、特にアイアンには大きなトルクがある。それはバランス計にも秤(はかり)にも現れないが、それよりもっと大きな重さを生み出している。

180ヤードを打つとき私はバッフィーと3番アイアンをはかりにかけるが、大抵はバッフィーを持つ。ウッドの方が方向性がいいからだ。3番を持つのは落ちてからゴロゴロと転がる方がいい場面に限られる。出来ればどのショットもウッドで打ちたいと思う。

そういうクラブセットは過去に幾つかあったが、売れなかったのか、消えてしまったが、ここへ来てショートウッドが出てきた。当然だ。そもそも何でアイアンのような難しいクラブがあるのか、それがまだ理解できない。スピン量を考えるからだろうが、アマチュアには無関係だ。

ゴルフはウッドから始まった。或るふたつの必要に迫られてアイアンが作られた。その必要とは何だったかを知っている人は少なくないが、それが100年たった今も必要かどうかを考える人は少ない。普通の人々は普通に生きている。当たり前に生きているに過ぎない。

「当たり前」というのは「正しくない」という意味である。「当たり前だ」と言うときは心の中にすがすがしさは見えない。正しくはないが、当たり前なのだ。
アイアンが持っているトルクという、目に見えない「重さ」がどういう悪さをするかというと、第1にウッドと同じ打ち方がしにくくなる。第2に初心者にスライスを打たせ、上級者には引っ掛かるボールを打たせる。これはアイアンをウッドと同じ打ち方で打った場合に必ず起こる。

それが起こらないのはパワーが十分か、あるいは天性の感覚神経で無意識に微調整できる才能を持っている場合に限る。だから引っかけたくない場合、普通の上級者はウッドを持ち、普通の初心者はアイアンを持つ。これは言わばセオリーである。

なぜそうなるかを知らないにしても、上級者が180ヤードを打つとき、アイアンでは引っかけやすく、ウッドだとコントロールしやすい。もしあなたがその通りなら、あなたは上級者である。逆の心配があるなら、何年ゴルフをしているかにかかわらずあなたは初心者である。

ゴルフスイングがトルクとの戦いだということはさんざん書いた。ゴルファーは常に自分の限界のパワーでスイングを作るから常にこの戦いに直面している。それが嫌ならウッドを使うか、あるいはスワンネックを使うしかない。パワーが不足なら飛距離が落ちないウッドの方がいい。

私は誤ってスワンネックを作ってしまった。怪力にとってはまさに理想的クラブだが、非力な私にさしたる恩恵はもたらさなかった。ただ考える楽しみをくれた。筆者

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