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昔のドライヴァーの重さは測ったことがない。しかし400グラム以上あっただろう。そのドライヴァーが50年でとうとう300グラムの壁にぶつかった。この壁というのは、製法や材料の問題としての壁ではなく、人間物理学とゴルフボールの重さ規定に対する適正の限界としての壁である。



アイアンの重さもカーボンシャフトやスチールシャフトの軽量化でずいぶんと軽くなったし、タンブリンヘッドのおかげで飛距離も伸びたはずだ。たぶんドライヴァー同様これ以上の軽さにもはや意味はないだろう。それはそれでいいのだが、問題はパターの方だ。パターが非常に重くなってきたのはなぜか。それはいいことなのだろうか。



そんな疑問が今のパターについて起きている。クラブの方はスイングの速度と体力の関係から軽さに意味があって、そしてその限界にも意味があって、それで落ち着いたのだが、パターはひたすら重くなっているだけで、どこまで重くなればいいのか、そもそも重くなる方がいいのかさえ、本当のところ、誰も知らない。それなのに新しく売られるパターは前に買ったものより確実に重くなっている。たぶん意味もなく。



重いパターが作られ始める前に、私はヘッドだけで800グラムを越えるパターを作った。記憶では全重は1キロを超えていた。それは実際に使えるパターで、安定したストロークを約束したが、ボールを打った感触がなくなり、同時に距離感もなくなった。過ぎたるは及ばざるが如しというわけで、この研究は一応終わった。ただ、問題は残った。どこが「過ぎ」で、どこが「及ばざる」なのか、一意的に決めることは出来ない。ゴルファーの体力や感覚がみな違うからだ。



一般的に言うと、現在のパターが重くなっていく理屈、正当性の根拠はグリーンが速くなっている、というその一点に尽きる。しかしプロのトーナメントで使われるグリーンと私たちがプレーするグリーンとは速さが全く違う。プロと同じパターを買うこと自体、この点でボツ。さらに、パター重量の変化が余りに急すぎるという感じもあって、ここには商売人の売らんがための嘘が感じられる。



ミズノの古いピンタイプのバランス型パターがある。小さく815と刻印が見える。このシャフトを抜いて、ヘッドだけの重さを量ると238グラムしかなかった。このヘッドにどんな重いシャフトをつけても400グラムにはならない。最近の太くて重いラバーグリップを付ければ400を越えるだろうが、それでも今どきのパター重量には遠く及ばない。この頃のパターは550グラムと言われても当たり前のうちである。



古代の、と言っても30年前くらいまでのパターは330から450グラム程度だった。TMP1というスポルディングのバランス型パターのヘッドも軽いと思ったが、測ってみたら300グラムは越えていた。つまりこのころはパターとアイアンの重さに大差がなかった。



それって、とても重要なことなのではないか、というのがこのタイトルの趣旨である。パターとそれ以外の道具との間に大きな重量差があるのはいいことか、悪いことか、どうでも構わないことなのか。



新しい道具を当たり前に買い換え続けるゴルファーは、30年前に使っていたパターは軽すぎて使えないと言う。それではなぜ30年前に使っていたのか。そういうゴルファーに限って、私が作った重いパターを持ったとき、重すぎて使えないと笑った。あれは600グラムに達していないパターだったのに。



そこには、そのゴルファーには、この30年でどのような変化が起きているのだろう。体力が違ってきたのだろうか、技術が変わったのだろうか、それとも何も変わらないのに、ただ重すぎると思ったり軽すぎると思ったりするのだろうか。同じ人間が、同じ状態で、違う印象を持つのはなぜだろうか。



重いグリーンには軽いパターがいい、と私は思うが、それはたぶん間違いである。そういうのは、ただ、軽いグリーンには重いパターがいいという統計を見た人たちが、勝手に「逆」を想像したのと変わらない。「逆」があれば「裏」があり、「裏」があると「反対」もある。それらはどうするんだ。そもそも軽い、速いグリーンには重いパターがいい、という統計だって、一部の統計に過ぎないし、商売人のデマかも知れない。



少なくとも、今使っているパターを捨てて新しいパターを買わせるために一番効果的な方法は何かと考えたら、誰だって同じ作戦に出るだろう。仮にその統計が事実だとしても、商売上有利な事実である。これが商売上不利な事実なら、もっと信憑性(しんぴょうせい)があった。今まで使ってきたパターのままでいい、という事実ならば。



重量1キロのパターにはそれなりの良さがあった。先日作った330グラムのパターにもいいところがある。ボールを直(じか)に打ったような感触があって、うまく打てたかどうか即座にわかる。これで練習すれば、もしも脳の計算力と神経の伝達力が十分な速度を持っていれば、打ったときの情報が脳へ伝わり、その方向や強さを微調整する信号が手まで返ってくる時間があるかも知れない。



重いパターにそういう情報はない。だから当然フィードバックする信号もない。軽いパターの価値はそういう雰囲気の中にあるだろう。一方で重いパターはブレが少なく、安定したストロークが出来る。ビビッた手の震えはパターヘッドに届かない。それはいいことだ。



パターの重さと言って、一口に言ってはいけないだろう。昔はパターの重い軽いはヘッドの重さが決定的要因だったが、今は違う。太いラバーグリップはかなり重そうだ。グリップだけで200グラムあっても驚かないほど太い。そうなるとバランスは一気に軽くなる。それを修正するためにヘッドも重くするだろう。



何がいいのかわからぬまま、パターは重くなっていく。ポリシーもなく、それを証明する理論的裏付けもなく、ただ怪しい統計だけでパターが重くなっている。



私のパターは重い。600グラムある。しかしグリップは普通のアイアンやウッドに使う50グラム程度のグリップを付けている。パターグリップが高価で買えないということもあるが、パターグリップには平らな面がある。打ち方が変わるたびに握り方も変える必要がある。当然平らな面の位置には最適なところがある。無理して握りにくい位置で握るのはよろしくないし、メーカーに押しつけられた位置で使うのも不愉快だ。



そういうわけで、私はリッジのない全く丸いアイアン用のグリップを差して使っている。リッジがないので位置情報もなく、自由だ。少し細すぎると思うのでテープを巻いて太くしてあるが、どの程度太いのがいいか、それは十分に考えている。これは経験則ではなく、理論的に考えている。



「パットは右手」というタイトルを書いているが、L字パターを使い始めて気付いたことだが、左手の握りをしっかりさせ、左手首の角度をロックして打つと、確かに方向は安定する。バランス型パターと同じくらい安定して思い通りの方向に打ち出せる。


この点では左手で打つ方がいいのは明らかなのだが、それだけなら逆手のグリップはもっと安定している。前向きパットはそれ以上に安定する。ただ、それでも私が打ったボールはカップに嫌われ続けた。



だから一般的には左手が掛かるグリップ部分は太くした方がよく、右手の掛かる部分は細い方がいいので、先へ向かって細くなるようなテーパーが付いた普通のグリップがいい。その上で左手のグリップ力が大きくなるように太くするのは理にかなっている。ただ、それでも入らない私のボールは、実力はあるが気の弱いスポーツ選手のようで、どうも実戦に弱い。



そこで、右手で打つためにグリップを逆に差し込んでみた。グリップエンドをカッターで切り取り、筒抜けにする。これをシャフトに逆向きに差し込む。こうすると先の方、右手の掛かる方が太くなり、左手の掛かるグリップエンドが細くなる。


こういう方法はまだ他で見たことはない。しかし結果は興味深かった。右手で打つと方向は不安定になり、いわゆる引っ掛けが出やすくなるが、真っ直ぐ出さえすればボールは自信に満ちた転がりを見せる。



バランス型ではそこまで違いがハッキリ出ないだろうと思うが、まだそのテストはやっていない。いずれにせよ、私にとって真っ直ぐ思い通りに出たボールが必ずカップの近くで曲がるなら、当面安定したパットスタイル、安定したバランス型パターに用はない。


今のところゴルフが出来ないのでグリーンでのテストは出来ない状態だが、右手で打って真っ直ぐ打てるようになれば、実際のグリーンではカップに嫌われないボールが出るかも知れない。



グリップの太さについて、今の話はその形状の話だったが、全体の太さに関して言えば、太いほど鈍感になり、細いほど敏感になる、と言えば大体当たっている。これはパターの重さ軽さと似たような違いである。



今のパターのグリップが太いのはパターが重くなったからに過ぎない。昔の軽いパターに今の太いグリップを差してみてどうか、今の重いパターに昔の細いグリップを差してみてどうか、それをやってみないことには何の意味もおもしろさも見つからない。



私が使っているアイアンやウッドのグリップは太い。みんなに馬鹿にされながら何十年も使い続けてきた。グリップエンドの直径は32ミリ程度ある。バッフィーのシャフトは42インチを越え、昔のドライヴァーの長さに等しい。こちらも長年馬鹿にされ続けながら使ってきたが、今は誰もが45インチのドライヴァーを普通に使っているので誰も私のクラブを馬鹿にしない。



それよりそういう長いクラブを馬鹿にしていたことを全く忘れて、まるで千年前から使っていたかのように思い込んでいるところがアホらしい。パター同様、アイアンのグリップも太くなっていく。ただしこちらはパターと違って飛距離に関係するので時間は掛かるだろうし、短い方から少しずつ太くなる。ドライヴァーが最後にいくらか太くなって、グリップの太さはある位置で安定する。



グリップの太さも形状も、シャフトの長さも、全てはゴルファー一人一人に最適なものがあるので、これがいい、と言うことは出来ない。しかし実験と仮説の繰り返しの末に得た結論は、ある。


私はそれにしたがってクラブを作り、今パターを作っている。シャフトにセメントを詰め込んだパターは非常に感触がいい。ヘッドは軽く、グリップも軽いのだが、全体が適度に重く、振った感触がとてもいい。シャフトの剛性感もいい。



パターのシャフトは柔らかい方がいいという説がある。私はそれに気付いた人に敬意を表する。普通の人が気付けることではないからだ。ただし、柔らかなシャフトが効果を出すのはある種のパターヘッドに限られ、またそれに見合った太さのグリップを装着した場合に限られる。何でも柔らかなシャフトがいいわけではない。



最近L字パターを現在の精密技術で復刻させたものが発売されたが、高価なので手が出ないし、それほど効果があるはずもない。唯一そのパターに価値があるとすれば、それはパター底面の精密さで、これは現代の精密技術なしには作り切れない。


したがってそこまで真面目なL字が欲しいと思うゴルファーであれば、買わざるを得ないだろう。500円のラジカセと100万円のオーディオセットの差は見方によればほんのわずかだが、確実に差はある。



スコッティキャメロンという200万円もする馬鹿高いパターがあるそうだが、あれはそのパターを使用するゴルファーに最適なチューニングを施す人件費として199万円、パター自体は1万円である。何年も付きっきりでそのゴルファーのスイングを解析し、最適なパターに仕上げる、その手順が付属しないなら1万円のパターに過ぎない。



どうもこの頃はフォアグラにキャビアを乗せたカップラーメンと言うか、そばにコロッケを乗せてコロッケそばと言うか、いいものおいしいものなら何と組み合わせてもおいしいというような、妙な世界が広がっている。



進歩的と保守的は相反するものではない。保守的だからそこ進歩的だったり、進歩的なことが実は保守的なことだったりするわけで、必ずしも新しいのが進歩的とは限らない。


時代は繰り返すので、歴史を知らない人にとっては何もかも、昔のことは新しいことになる。アイアンやウッドに太いグリップを使い、パターには軽いヘッドと比較的細いグリップ、それが私のゴルフ道具だが、それを見て、進歩的と言うか、保守的と言うか、新しいと言うか、古いと言うか、微妙。 筆者

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