« 0690 パットのヘッドアップが自然にとまる方法 | トップページ | パットを考え直す その2(ホック度) »

私、この頃思うんですけれど、私は常に予定した通りの方向へ打ち出せるパターとパット方法を考え続け、ついにセンターシャフトで超バランス型のパターを自作し、打法も前向きパットまで行き着いたのだけれど、私の打つボールは最後の最後にちょっと曲がってカップに入らない。



この絶妙な外し方が天才的だというので、私のパット見たさに私をゴルフに誘う人もあるくらいだ。スライスラインとホックラインを逆に読んだり、登りと下りの判断が付かなかったり、そういうのも珍しくないことだが、何よりすごいのはやはりギリギリでカップを外す、その技に尽きる。



どうせ入らないのなら、「うまく打ちにくい」パターを使おう。思い通りのラインへ打ち出すこと自体が最も難しいパターを使おう、と思った。カップに嫌われて入らなくても、次のパットは30センチから50センチ程度残るだけで、それはいくら私でも何とか入る。



だから18回打って18回20センチ以内にとどまるパットより、17回は打ち損じて50センチのパットを残しても、あとの1回がカップインするパットの方がいい、と思うようになった、と書いた。



これは言わば思想的な変化である。アメリカナイズされるとどうもマニュアル的になって、個性というか自由さがなくなる。アメリカ人はそれでいい。ちょっとうまくいかなければすぐに次のアイデアへ進むから。ところが日本人はそうはいかない。うまくいかない理由を証明できるまでそこを立ち去らない。お気楽なアメリカとは違うのだ。それでいつも時間的に損をする。



皮肉なことに、自由なアメリカがマニュアルを信奉する。共通の文化がないからだが、ゴルフでもボールを打つまでのルーチンとか、息を吐きながら打つだの何だのと、妙に理論的、マニュアル的なのが好きだ。お気楽に作ったマニュアルはまたお気楽に捨てられる。そうして彼等は周囲を煙に巻きながら、一人先を行くのである。



アメリカの基本方針はどこまでも細かく、どこまでも規則的にやることで、それで水泳や陸上のタイム表示はどんどん細かくなった。9秒85と10秒23は昔は同じだった。ただ審判がどっちが先にゴールしたかをその目で見るだけのことだった。もっとも、何でもどこまででも細かくやろうというのは近世ヨーロッパの文化を引き継いだだけだが、そのイギリスでは審判を使うサッカーが伝統的だ。



アメリカは審判を嫌う。人の判断は不正確で不透明だから出来るだけ避けようとする。それでアメリカではサッカーとかラグビーはあまり好まれなかった。その代わりにアメリカンフットボールがある。やたらに審判が演技をするスポーツで、しかしどことなく機械的に見せているところが笑えるだろう。


この頃はテニスでもボールがアウトかインかを写真判定するようになった。これはアメリカ流である。日本はどうもアメリカびいきで困るが、競馬先進国のヨーロッパではレースのタイムは計測しない。そんなもん、意味ないと考えているらしい。ところが日本ではこのタイムが非常に大きな資料となって重要視される。



先日子供が剣道をやっているという親と話をしたときのことだが、たまにテレヴィで放映する剣道大会を見ていると、どちらが勝ったか全くわからない、と私が言うと、最近ではヴィデオのスローがあって、審判の判定と食い違うことも多いそうだが、判定は覆(くつがえ)らない。それを聞いて私は、審判の方が正しいと思う、と言った。



ゴルフスイングの超スロー映像を見て勉強になることが10あれば、同じ映像から間違った理解をして失うものは100ある、と、どこかのタイトルに書いた。超スロー映像にはある意味、嘘があることを忘れてはいけない。剣道の勝ち負けは生き死にの判定だろう。そうすると小さな小手が面よりも一瞬先に入った場合、手首が切り落とされていれば勝ちだが、傷ついた手首で面を打たれたら死ぬだろう。



審判はどちらの勝ちかを判定しているのであって、どちらの剣先が先に入ったかを見ているのではなく、むしろどちらが生き残ったかを感じているのではないだろうか。テニスの機械式判定は映像といってもヴィデオではなく、コンピュータグラフィックで示される。機械だからえこひいきはない。判定が本当に正しいかどうかより、人間の審判と違って気まぐれでないから利用価値がある。



しかしコンピュータの判定もたぶん正しいわけではない。計算上どこかで四捨五入するのだから、入っていてもアウト、出ていてもイン、という現象は起こる。この点では選手の眼の方が正しいと思うが、サッカーの反則ゲット演技を見ていると、何事も人柄によるから、やはり機械式の方がいいだろう。あくまで、機械が正しいからではなく、ソコソコ平等だから。



パターのグリップは太いのが流行し、昔のパターを握ると「もうこんなのは使えない」と信じ込んでいるアホゴルファーがほとんどだ。これを流行と言う。女性のファッションは繰り返しで、真に新しいものは歴史的に見ても100年のスパンでしか出ないが、流行は30年で繰り返す。30年前を知らない世代がファッションを楽しむ時期になるからだろう。



そしてその経験は行ったり来たりを繰り返しながら、ある点に収束する。それが私のゴルフクラブだが、それは他のゴルファーにとって最適ではない。ゴルファーの数だけ最適なクラブがある。しかしながら、どんなタイプのゴルファーにも、今のパターグリップは太すぎる。行き過ぎている。今のアイアンのグリップは細すぎる。行き過ぎている。



こういう事実に気付いている頭のいい商売人は考えつく。ゴルフ用のグローブを少し厚くして、しかも従来のものと比べて違和感がない程度の柔らかさを持たせられれば、売れる。宣伝も何も要らない。細すぎる今のアイアンのグリップを、グリップを替えずに適正値へと近づけるために、グローブの厚みが意味を持つ。



ただし厚みに気付かれると売れない。フィーリングが悪いと言われる。打球感の繊細さがない、と言われる。その通りなのだが、それならパターグリップが太くなれば同様に打球時の繊細さはなくなる。ショットのときよりずっと重要な、打球時の繊細な感触。



パターのグリップは意味なく太すぎるのだが、これはパットをするときにグローブを脱いで素手で握ればいいだけで、商売にはならないが、お薦めの方法である。もっとも、パットの時にグローブを外すゴルファーは少なくないから、当たり前だと思うのが普通のゴルファーでもある。



理由も知らないでやっているが、昔はグローブを外さないゴルファーの方が多かった。理屈がわかっていれば、当たり前の話なのだ。昔のパターグリップはかなり細かったのだから。細いグリップと太いグリップには違いがある。当たり前だが。

今それが太い方の極限に達している。そのうちに元へ戻るのだが、流行に惑わされず、自分のパッティングに最適な太さがあるのだから、自分でそれを探すのがいい。それにはテープが簡単だ。テニスラケット用にカラフルで厚みや柔らかさの違う沢山のテープが売られている。

そのテープを巻いたり外したり、二重に巻いたりしながら、好きな太さを見つければいい。

« 0690 パットのヘッドアップが自然にとまる方法 | トップページ | パットを考え直す その2(ホック度) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 0690 パットのヘッドアップが自然にとまる方法 | トップページ | パットを考え直す その2(ホック度) »