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パターグリップは普通のクラブのグリップと違って上に平らな面を持っている。そこに親指が乗る。この形、つまりグリップの平らな面とパターフェイスの面とがゴルファーの心の中、頭の中で連動するから、いつでも決まったスタイルで構えられる、というわけだ。



それは進化と言えなくもない。確かに安心感があるのは事実だ。ところが、普通のグリップにも似たような構造があって、新品のアイアンセットなどを買うと、普通はリッジ、尾根のあるグリップが付いている。グリップの下、裏側の方に尾根があって、クラブを握ると指の関節がその尾根にはまりこんでグリップが安定する。



同時にその尾根とクラブフェイスの面が連動していて、いつも通りの握りをすればクラブフェイスもいつも通りの方向を向く。このグリップリッジは皮巻きのグリップの頃から付いていた。昔からシャフトは細いのでそのままでは皮を巻いてもグリップは非常に細くなってしまう。実際に大昔のクラブはそういう鉛筆のような細いグリップだった。



それが改善されたのがいつ頃か知らないが、シャフトにコルクを貼り付けてグリップ部分を太くし、その上に皮を巻くようになった。コルクを張るときに細い割り箸のような棒を縦に貼り付けてリッジを作ったり、コルク自体を加工してまん丸でない、リッジが出るようにしたものもある。



このリッジはパターグリップの平らな部分と同様に便利で役に立つが、その位置を動かせないという不便がある。引っ掛け気味のゴルファーならパターの平らな面を少し左に向けたいと思うだろうし、スライサーはアイアンのリッジを時計回りに少し右へ回したいと思う。


というわけで、この頃グリップを買いに行くとリッジなしとリッジ付きの両方が置かれている。しかも、聞くところによればリッジのないまん丸の方が売れるらしい。これは最近の傾向である。昔ならグリップにリッジがあって普通だった。



パターのグリップが太くなったのも私に言わせれば最近の話だが、一度そうなると昔の太さのグリップはなかなか見つからない。売られない。太いパターグリップが進化なら、もう二度と昔に戻ることはないが、単なる流行ならばいろいろな太さのグリップが共存する日がやがて来るだろう。



私はあまのじゃくではないと思うが、進歩的ではあるし、研究熱心でもある。だから行ったり来たりを繰り返す。パターグリップに平らな面が付けられるようになった以降も、断面が丸い普通のクラブと同じ形のグリップが付いたパターも少しだが作られていた。しかしパターグリップが太くなって以降、昔のサイズの細いパターグリップが付いたパターを店頭で見かけない。



「グリップの太さ」というタイトルもあるが、グリップが太いと手首の動きを制限する。逆に細いと手首の動きが自由になる。だからドライヴァーで飛ばしたいゴルファーは細いグリップを使うし、ドローに悩むなら厚みのあるグローブをはめるか、あるいはグローブを二重にするとドローはとまる。これはグリップを太くするのと同じ効果があるからだ。


パターのスタイルがアメリカ的になって、手首を固定して肩の動きだけでやるのが正しいという、アメリカ人が掛けた催眠術に掛かった日本人ゴルファー達は、日本人が世界に誇れるほぼ唯一の才能、手首や指の器用さ、繊細さを捨てることになった。パターグリップが太くては才能が発揮できないからだ。



私は20年も前からドライヴァーを含めた全てのクラブに太いグリップを採用したが、パターは逆に、元々付いている太めの平らな面のあるグリップを外して、アイアン用の細くて丸い、リッジのないグリップを付けている。特に言えば、L字パターに太いグリップはナンセンスである。平らな面のあるグリップもナンセンスだ。



今の不気味に太いパターグリップは、ヘッドが立体的になって、力学的に進化したパターに使うなら理にかなっているが、それ以外のパターにはほとんど意味がないし、まして研ぎ澄まされ訓練された神経と、手や指の繊細な感覚を使って勝負するゴルファーには猛毒でしかない。



パターの下手な私が言うのも何だが、パターの上手なアメリカのプロを見ていると、一見マシンのように打っているようにも見えるが、やはり感覚で打っていると思われる。ただ、動きだけがマシン的なのだ。手首の感覚や操作に敏感な日本人がその感覚、感性を使わずにただマシン的に動かそうとするのは国際的に見て、(どういう意味かわからんが)あまりいい手だとは思えない。



太いグリップ、平らな面のあるパターグリップ、リッジのあるなし、そういうものは進歩か単なる流行か、各自で考え、自分なりに判断すべきことだろうと思う。後戻りできる時間があるなら、とりあえず何にでも飛びついて構わないが、時間がないなら、今のままがいいという判断もまた、あまり意味のない道草を食わない分、進歩と言えるはずだ。決断は常に迫られている。 筆者

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