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アメリカツアーでも日本のツアーでも、際だってパットの名手と呼ばれたプロ達には共通点がある。スイングがぎこちない。ド素人のようなスイングにもかかわらず、プロとして生活できている。なぜだろうかと考えた。


多くのプロは体育会系であり、子供の頃から運動は得意だった。従ってそのゴルフスイングは、たとえ少しばかり個性的に見えるような場合でも、パワーを出す理屈にかなっている。


ところがパットだけ優れているというタイプのプロは、子供の頃の体育の成績が良かったようには見えない。パットがうまいからプロとしてやっていけたし、グランドスラムトーナメントのような試合にも勝てた。


私は考えた。私は狙いを外さない。的にぶつける、という競技、遊びは子供の頃から得意だった。的に当てる場合、より強く当てる方が正しかった。それだけ風など、環境の影響を受けないからでもあったし、より強く当てる方が得点が大きいのが普通だった。

だから私は、より強く的に当てるのは得意だ。もしもグリーン上のカップが穴ではなくて、的だったら、つまりそれに当てるだけで良かったら、さらに言えば、より強く当てた方が得点が高ければ、ゴルフは私にとって非常に有利なスポーツになっていたに違いない。


ところが実際は、たとえ真っ直ぐカップに向かって転がっていっても、カップに強く当たるような速度ではボールはカップに落ちない。速度が重要な要素になるわけだ。そんなスポーツは、子供の頃の遊びの中にはない。おはじきでも何でも、どちらかと言えばより強く当てた方が有利だ。


体育会系はそういう風に生きてきた。パットというのはスポーツではない。だからそこそこ正確なドライヴァーショットが打てれば、その後のアイアンショットはクラブが距離を決めてくれるから、特にパワーはいらない。パワーの出し方を知っている体育会系にアドヴァンテイジはないのだ。


それどころか、パットを打つときにも体育会系はパワーの出し方を知っていることが逆効果になる。ほとんど気づかないような微妙な動きで、桁違いのパワーを生み出す技術を持っている。それが悲惨な結果を招くのだ。


子供の頃からあまりスポーツをしていなかった人たちは、ちょっとした膝の送りや目に見えないほど小さな腰の切れによって格段のパワーを生み出す体育会系の技術を知らない。それだからゴルフスイングはぎこちなく素人風になるが、パットになると事情が一変する。


というわけで、子供の頃から運動に秀でた人たちがゴルフをする場合、ショットは問題ないが、パットでは如何にして自分の持っている運動系の能力を殺してパットの練習が出来るか、そこが問題になる。小さな頃から何か目標にモノをぶつけることに優れた人たちは皆、それを捨てる必要に迫られる。


力強く当てるのではなく、距離を合わせなければならない。そこで私は考えた。まずはカップという落とし穴を無視して、カップの位置に立て札を立て、それにぶつける昔からの技術でパットをする。どうせボールはカップ上を通り過ぎるだろうが、気にしない。


そしてそれが正確に出来るようになったら、少しずつ弱く当てる練習を始めようか、と。両方をいっぺんにやろうとするから難しいんだ。そう考えて、ここからゴルフを再スタートさせてみるつもりの、今日この頃。アスリートゴルファーでパットの苦手な皆様、いかがでしょう。 筆者

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